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福祉の支援者になりたい方へ ”支援者としての心構え” – 資格を持つ意味発達障害支援の現場から 第3章 第3節

2017年10月1日

前回は共感・傾聴という支援者としての姿勢をどう考えるかを発達障害支援の文脈でまとめました。今回も心構え編、「資格を保つ意味」について考えたいと思います。

こんなことをするために私は資格を取ったのでしょうか?

以前ある大学教授から聞いたお話です。

沖縄出身の学生がある北国の大学に入学しました。その学生発達障害の特性がありながら一人暮らしを続けていました。しかし秋が深まり冬が近づくにつれて、南国育ちの学生はみるみる元気がなくなってきました。支援者は「寒さに慣れていないのだろう」と思っていましたが、雪が降りしきったある日、もう堪らなくなったというように学生が支援室を訪れ「寒くて寒くて何も出来ない」と訴えました。よくよく聞くと、その学生は石油ストーブを購入しないといけないという発想がわかず、また購入したとしても使い方を教わらないと出来ない状態だったことがわかりました。そのことを上司に報告した時に、その支援者は「私は暖房器具の使い方を教えるために福祉の資格を取得したのでしょうか?」と問うたそうです。

これは実話をもとにしたお話です。福祉の世界に限らず、資格を活かして働くということ自体は悪いことではないと思います。が、資格を活かすこと自体が目的になり、支援をするということが逆に手段になってしまっているのには違和感を覚えざるを得ません。

上記の例で言えばもちろん支援者の仕事として暖房器具の意義や購入方法、使用方法を教えるのは発達障害の人に向けた支援の目的にかなったことであり、可能な限りしたほうがよく、その時に保有している資格などは関係ないということになるでしょう。活かせるときは活かせば良いでしょうが、目的にかなわないときはその知識を使わなくても良いこともあるわけです。

(実際私も経営学修士というMBAを取得していますが、普段の経営でMBAのことを意識することはほとんどありません。知識があって便利だなと思うことはありますし、時に頭の整理に役立つこともありますが、いつもではまったくないです。)

支援力向上+雇われやすさが資格保有の2大メリット

ただし資格を保つ意味はもちろん様々にあるでしょう。特に事業所の質を担保するために、一定程度の知識・経験を持った人を配置したい行政としては資格保有者を許認可の条件にすることは当然のことといえます。医療の世界ですと病院・クリニックだったら医師という資格保有者がいないと認められないですし、トラックやバス・タクシーなどの運輸・運送業は適正な免許をもった人がいないと事故を防げないでしょうし、飲食業界でも食品衛生責任者を置くことで消費者は安心感をもってレストランを利用できます。

福祉の世界でも、各事業所に最低一人は、精神保健福祉士や介護福祉士、社会福祉士、保育士など医療・福祉系の資格を持った人が求められています。人手不足が深刻な薬剤師や看護師ほどではないかもしれませんが、福祉も慢性的に資格保有者の人員確保が難しい業界です。自分の支援力を向上すること以外にも雇われやすいという意味で資格保有はやはりプラスになるでしょう。

資格の知識がマイナスになる場合は?

資格を得る過程で得た知識や物の見方は正しく身につければプラスになることばかりだとは思います。しかしいわゆる発達障害の人への支援の場合は少し注意が必要な資格があります。3つ例をあげます。

キャリアコンサルタント

2016年から国家資格になったキャリアコンサルタント。職業能力開発促進法(昭和44年法律第64号)に基づき、厚生労働大臣の登録を受けた登録試験機関が実施する国家資格試験です。Kaienの採用試験を受ける人でも取得している人が本当にたくさんいます。特に40・50歳代で自らが転職を考えている人が、これから人材関係の仕事に就きたいと思った時に取得しやすい資格のようなのです。

が、あくまで以下は私の印象ですが、キャリアコンサルタントの人は発達障害の支援にはじめ戸惑うことがあるようです。前提とされている考えに、コーチングに似た発想があるからかもしれません。

前回も書きましたが、発達障害の人は自分の考えを言語化する、つまり見えないものを捉えるのが苦手です。Wikipediaから引用するとコーチングは「対話によって相手の自己実現や目標達成を図る技術であるとされる。相手の話をよく聴き、感じたことを伝えて承認し、質問することで、自発的な行動を促すとするコミュニケーション技法」であり、支援を受ける側が自発的に言葉で自分の気持ちや考えを整理していく必要があります。発達障害の人は、言葉の定義や捉え方が独特だったり、選択肢がない自由記述式の質問だと上手に整理できないことが多めです。このため支援を受ける人の状態・力を考えた上で、キャリアコンサルタントのノウハウだけを使ったほうが福祉の世界では良さそうです。

臨床心理士

たまたまですが臨床心理士も最近国家資格化が決まったものです。大学院を修了するなど要件が厳しいため、学問・勉強の出来る人が多いなというのが印象です。臨床心理も一歩間違うと発達障害とズレが生じやすい前提をもっているものかもしれません。

というのも臨床心理士は「こころ」の専門家と言って良いと思いますが、発達障害の場合は後天的な人生の中での歪みでの心のズレというよりも、先天的に物事の処理が違うために多数派と違う情報の捉え方をしたり情報が混沌としてしまったりするものだと思われるからです。スパゲティのように絡まった情報を解きほぐす支援はいわば心の支援というよりも情報の整理であり、臨床心理士の人が得意な心の奥底まで階段を降りていくような作業と違う場面も多数あります。

もちろんしっかりと勉強した方が多いので臨床心理の方でこの辺りを使い分けられている方が多いとは思いますが、どうしても癖として心を見に行きたい人が多いのが臨床心理の人だというのは自他ともに知っておいたほうが良い癖だと思います。

教師

最近制度の変更やその運用解釈が大きく動いている放課後等デイサービスでは教員免許を持った人が資格者として受け入れられやすくなってきました。今後、教員免許の保有者が福祉の世界に増えてくることが予想されています。ただ教師も発達障害的にややズレが生じるケースが有るなと私は感じています。もちろんこれまで挙げた例と一緒で、教師についても、教師の資格自体が福祉、特に発達障害の支援にじゃまになるというわけではありません。しかしちょっと間違いやすい時があるということです。

特に高校までの学校教育一般に言えるものとして、本人の力を信じて底上げをしていくという思想があります。(なお、大学以上の高等教育は、学位というハードルを飛び越えられるかどうかという視点が強く、ご本人の能力底上げが第一に来るわけではありません。大学の教官には冷徹な評価者としての目線が強いと思います。このあたりを取り間違うと、発達障害の傾向のある学生の合理的配慮の主張で食い違いが起こりやすくなります。)

「もっと集中すれば」、「もっと意欲を持てば」、「Aが出来るなら、Bも出来るはず」など、子どもの力の底上げに熱心な小中高の先生ほど、本人の凸凹に気づかず、無理をさせてしまう可能性があります。悪意がないからこそ、なかなか先生自身がずれに気づきづらいのです。発達障害の子どもを何人も見て失敗経験を経て、ようやく人には凸凹があり、限界も多いのだという、先生としては信じている教義みたいなものを一部修正する必要があり、辛いものでもあるとは思いますが、特に発達障害支援の現場では教師の資格(というよりも教師を目指す上で根底にありがちな思考パターン)はせっかくの支援への情熱をマイナス面に変えかねません。

(このあたりは部下を管理する上司としても同じ穴のむじなだなと自認するので本当に偉そうなことはいえませんが・・・)

次回

資格を取得のためにかける数年のエネルギーや得られた知識は無くなるものではなく、支援の力になるものです。ただ発達障害支援という一面だけを見ていても、プラスになりやすい資格や、プラスにはなるけれどももっている知識を使う場面を気をつけないといけない資格など、万能ではないということをお伝えしたかったわけです。正直な所、自社で専門性を育むのは至難の業だなぁとここ数年感じます。福祉の世界に入る前に数年かけて資格試験に望み知識を体系化してくれるとより高い確率で福祉の職人になれるようです。

次回は福祉とは関係ない業界からこの世界に入る人に、自らの経験も踏まえて、これまでの常識・心構えがむしろ福祉業界で希少価値を持つ部分や、ここは変えた方が良いだろうなという部分を解説していきたいと思います。

【次回】事前に必要な知識

【リンク】福祉の支援者になりたい方へ シリーズ目次

(文:Kaien代表取締役 鈴木慶太 2017年10月)

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