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Kaien創業記 第5回スタッフの離反

2024年11月4日

第4回では実際に事業を興したものの計画通りに行かず、すぐに作戦変更になった起業後数ヵ月を取り上げました。今回はさらにKaienの未来に悪運が漂う創業後の1年間を取り上げます。

2010年4月の訓練スタートまで3ヶ月。ゼロから訓練プログラムを作らないといけません。それを任せたのは、ミッションに共鳴してくれ、フルタイムで1月から働いてくれたソフトウェアエンジニアです。私はITの素人でしたので、彼にすべてをお願いしました。
私は営業の担当。これまではIT事業を引き受けてくれる顧客を探しましたが、今度は当社のプログラムを修了した人たちを雇用してくれる会社を探し始めました。もう一人のスタッフ、臨床心理士はパートタイムで訓練プログラムや営業の際に発達障害の知見が必要な際に助言を行なう担当をしてくれました。ようやく会社が事業を行なっているような気配になって来ました。

しかしすぐにほころびが出始めました。スタッフが私と険悪な関係になり始めたのです。私は発達障害の人をすべて受け入れることを会社の設立時に決めていました。この人達のために一生を捧げようと思っていたからです。実はIT担当のスタッフは発達障害の診断を受けている当事者でした。それをオープンにしてエンジニアをしている彼を知り、口説いて当社に入ってもらったのです。その彼が、Kaien、すなわち私には発達障害の理解や配慮が足りないと言い始めたのです。私は理解するために全力をつくすつもりでしたが、当事者から配慮が足りないと言われたら、それは受け入れないといけません。ちょっとした言葉遣いや態度、会社のルールなど、あらゆる所で言われるクレームにいちいち答え、謝罪し、変更を加えました。

そのうち彼は出社しなくなりました。週に1度会社に来ればよい方でした。自宅で訓練のプログラムを作ってもらっている筈でしたが、1ヶ月たっても、2ヶ月たっても、成果物が出て来ませんでした。

チュルさんも心配して週に一度どころではなくミーティングをするようになりました。臨床心理士のスタッフも交えて、一体どうすればきちんと働いてくれるのか、試行錯誤が続きました。掛ける言葉を変えてみる、伝える内容によって直接、電話、メールなど方法を変えてみる、勤務の形態を変えてみる、ゴールまでのステップを幾つか提示してみる、インセンティブを変えてみる、いろいろなことを試しましたが、事態は悪化するだけでした。

「発達障害の人のために作った会社で、講師だけはということで発達障害の診断を受けているエンジニアを雇えた。ただその人を上手に働かせることができなかった。そんな段階で職業訓練をして他の会社に送り込むことができるのだろうか?Kaienは発達障害の人を活かす場所で、苦しめる場所ではないのではないか?」

目標と矛盾した現実に日々胸が苦しくなりました。一方でやはり発達障害の人だと、教えることや管理することなど自ら目標を立てて周囲のバランスを見ながら、成果物を試行錯誤の中で創り上げていくのは難しかったのかと感じ始めていました。発達障害の多くの人は、ルールがありマニュアルが整っている所では圧倒的な力を発揮します。管理職が良ければ指示されたことはしっかり動きます。しかし前例のない、状況変化を感じ空気を読みながら働くのは苦手な人なのです。しかも上司は元アナウンサーで管理職の経験すら無い私。悪条件の中で先の見えないトンネルに入れてしまったようなものです。自分の管理能力と、発達障害の特性を信じすぎたことが失敗だったかも知れません。

彼には3ヶ月でKaienを去ってもらいました。この時の決断もチュルさんとじっくり相談しました。「確かに発達障害の人を雇うのが目的だけれども、もっと大きな目的もある。一人を雇用することで失敗しても次があるし、ここでこだわって会社ごとケイタさんも倒れたら元も子もない。去っていただくことは残念だが、しっかりと学んでいこう。」そういったことをチュルさんに言ってもらってようやく踏ん切りがつきました。

自宅作業で概ねできていると彼が言っていた訓練資料や中身は、蓋を開けてみるとほとんどなにもできていませんでした。お願いしていた5%もできていない状態でした。しかし4月12日には訓練の第1期生3人が入ってきます。あれほど行政の人に頼み込み、いじめられてもつかんだ3つの枠です。どのように訓練を行なっていけばよいのであろうか?まずは知り合いに電話をし、メールをしました。

幸運なことに、その時は数日で候補が見つかりました。20年ほどソフトウェアのテストエンジニアとして活躍した女性が4~6月の訓練の期間中手伝ってくれると快諾してくれました。前回の失敗もあり、発達障害とはまったく関係のない人、つまり当事者ではない人にしました。講師料は1日あたり1万円。彼女の経験を考えると低すぎるオファーですが、1ヶ月に10万円ほどしか稼ぎのない会社の窮状を理解し受け入れてくれました。

4月12日、発達障害の特性のために就職できないことで困っていた3人の訓練生がKaienにやって来ました。いずれも30歳代の男性です。私の目標は決まっていました。どんなことが起きてもこの3人を就職させよう、とみんなに伝えました

初めの2週間は無事に過ぎ去りました。しかし、ゴールデンウィーク直前の4月末。講師をお願いしたばかりの人からメールがありました。「講師を辞めさせてくれ」という内容です。順調に行っていると思っていただけにショックは1回目の時よりも大きいものでした。なんとか時間をもらい、麻布十番の事務所で話をする機会を持ちました。連休後も続けてもらえるように訴えるために、また、そのために必要なことは全てすると伝えるためにでした。でも、彼女の憤りは想像を遥かに超えていました。訓練の資料が揃っていると思って受けたがまったく揃っていないこと、管理職として私の力が足りず、なにを指示されているか分からないので働けないこと、あとは個人攻撃のように私の資質についての不満を爆発させました。

「これまでいろいろな所で働いたがあなたほどの無能はない」
「年齢は関係ない。25才ぐらいで数百人を回せる人はいる。あなたは違う」
「MBAでなにを学んできたのか?」
「発達障害についても理解が薄いのでは?だから一人目の講師は呆れたのではないか?」
「あなた自身が発達障害ではないか、それほど私の心も周りの人の心もわかっていない」
「臨床心理士のスタッフも、あなたがおかしい、発達障害だと思って心配している」
「状態は深刻。病院で療養すべきではないか?あなたの発達障害を緩和させるべきでは」
「会社を経営している場合ではない、私たちは心配している。はやく病院に行きなさい」

こういうことを言われて、他の人はどういう対応をするのかよくわかりません。ただその時私には選択肢はひとつしかないように思えました。言われていることを受け止め、ひたすら講師をお願いすることです。他に講師が見つかる可能性はありませんし、今訓練を辞めることはすべてを否定することにつながると思いました。とにかく訓練生3人が信じて来てくれている。訓練は続けないといけない。1期生が終わるまではなんでもするのでお願いしますと伝え、なんとかOKをもらいました。

そのあと、私は会社にほとんどよりつけませんでした。社長が出入り禁止になるというお恥ずかしい状態です。自分の会社なのに行くと、講師の人から追い立てられます。アスペルガーのお前がなにをしにきたのかという感じでした。会社設立の時に入ってくれていた臨床心理士でさえも、いつの間に彼女の味方になっていました。会うと私のことを「発達障害」として鼻で笑っているように感じました。

1期の訓練が終わるまでの残りの2ヶ月は地獄でした。たしかに、講師の彼女からすると、訓練資料はほとんど用意されていないですし、使用予定の教科書だけが一冊あって、ソフトウェアテストを教えてください、というむちゃくちゃなオーダー。怒るのはわかりますが、それにしても社長を閉めだしての訓練になるのは本当に悔しかったですし、情けなかったです。ただ、私が訓練所によりつかなかったことでそれ以上の事態の悪化は防ぐことができました。
無事3ヶ月間、彼女は講師を務め上げてくれたのです。日々のメールでの日報で、私も訓練生の状況がある程度把握できました。講師の彼女からもメールでの連絡は来ていました。それだけでなく資料を整え、次の訓練に向けた助言もまとめておいてくれました。2期以降の訓練プログラムを作成するうえで、この資料は大変役立ちました。

7月初旬。なんとか1期の訓練が終了しました。チュルさんとも話し合い、手は決めていました。臨床心理士の人にも会社を去ってもらい、今回トラブルの元凶になった講師の女性にも会社を去ってもらいました。なんだかすっとしました。会社をたたむことまで考えましたが、なんとか2ヶ月我慢してよかったと思いました。2ヶ月間続いていた頭痛や不眠も解消しました。私自身メンタルは強いと自負していましたが、罵られること、いじめられることの怖さを感じました。よい経験だったと前向きに考えました。

次回は最終回。現在のKaienの原型ができた草創期のまとめです。

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