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Kaien創業記 第2回Specialisterne(スペシャリスタナ)の発見

2024年8月27日

前回(第1回)はNHKアナウンサーだった私が、MBA留学の直前に発覚した長男の診断をどう受け止めたかについてお伝えしました。今回はノースウェスタン大学ケロッグ経営大学院の留学から1年。Kaienの起業に最大の影響を与えたデンマークのIT企業「Specialisterne(スペシャリスタナ)」の【発見】についてお伝えします。

2008年5月。シカゴの長い長い冬も終わり、ようやく木々が青々としてきました。ケロッグの授業も春学期。これまでで「戦略」、「マーケティング」、「ファイナンス」、「オペレーション」といった主要な科目も取り終わっていました。6月からはMBAは3ヶ月の夏休みに入ります。ほとんどの学生はその間サマーインターンシップを行い、卒業後の就職に向けて大きな山場を迎える季節になっていました。年度替わり直前の、そわそわした、ワクワクした、だけれども不安も含んだ独特の雰囲気がケロッグのキャンパスに漂っていました。

信じられないほどいろいろなことが起こった2007年。2008年になって私も英語にもすこしずつ慣れ、ケロッグでの学生生活にリズムができていました。ビジネス経験はありませんでしたが、ビジネスがどう回っているのか、概ね把握できていました。違う言い方をすると、米国での学生生活も少し単調になってき始めた頃でもあります。「夏休みはインターンシップを頑張って内定をもらおう。」

ただ2年生ではなにをしよう。インターンシップを終わって2年生になってからでは計画を立てる時間がない。」そう感じ始めていました。大学もそういった2年生の考えをよく理解しています。MBA同士が協力しあって2年生を交換する制度を設けていました。私の友人だけでも、ケロッグからは、イギリス、フランス、南アフリカ、中国、タイ、アルゼンチンといった世界各国のMBAプログラムに行くことが決まっていました。ただ私はそういったアクションを一切起こしていませんでした。2年生になってなにをするのか?漠然と「発達障害とビジネスの関係について調べたい」としか思っていませんでした。私が入らせてもらっていたチュルさんの「株式市場の仕組みを、非営利団体の効果測定に活用する」プロジェクトも、夏休み後にどのような活動をするかを話し合うことになりました。5月末の土曜日、ミーティングルームが空いている朝一番に全員で議論することになっていました。

※ワード解説 「チュルさん」ケロッグ経営大学院での同級生。Kaienの共同創業者。ケロッグ時代はメンター的な存在。

チュルさんのプロジェクトは大変興味深いものでした。ただ私には奥が深すぎました。どのように2年目はプロジェクトを動かしてよいのか、見当がつきませんでした。ミーティングの前夜、夜10時ぐらいだったでしょうか。一人自室にこもって、翌日の発言をどうすべきか、いろいろと書き連ねていました。なかなかアイデアが出てきません。ふと自分の興味がもっとあることだったら、もう少しアイデアが出てくるのではないかと思いました。ちょっと気分転換のつもりで「発達障害 仕事」とネットで検索をかけてみたのです。それが運命だったと思います。Specialisterne(スペシャリスタナ)が引っかかりました。

私が検索をしたのはハーバード・ビジネス・スクールの雑誌、ハーバード・ビジネス・レビューのウェブサイトです。ケロッグのライバル校にあたりますが、ハーバードは歴史が分厚く、MBAの象徴たるケーススタディ(過去の企業の事例を当事者感覚で書いた短めの文書を、授業の前に目を通し、授業やグループワークで自分たちだったらどういう経営判断をくだすかと話し合う方式)の権化です。このため膨大なケースを作成していて、そうしたケースがたくさん検索・購入できるシステムをウェブ上に構築していました。ハーバード・ビジネス・レビューだったら、発達障害と仕事に関するビジネスモデルのヒントが見つかるかも知れない、そう思って検索したのです。直感が当たりました。

ちょうど数ヶ月前に発行されたばかりの、出来立てほやほやのケースでした。デンマークのIT企業・スペシャリスタナ。2004年に創業して、発達障害の弱みを強みに変えて、プログラミングやソフトウェアのバグチェックを行なっている。特にバグチェックは『健常者』を50%ほど上回る成果をあげることがある。このため、創業1年目から黒字である。

「すごい・・・。」数行での説明文を読むだけで十分でした。あまりにショックを受けて言葉になりませんでした。たしかケースはオンラインで購入するのに6ドルだったと思います。すぐにクレジットカードを財布から引っ張り出し、購入し、ケース全ページを印刷しました。あとはチュルさんのプロジェクトそっちのけで読みふけりました。何度も何度も目を通しました。教育や福祉の単語も出てきましたし、一部アメリカ流の英語ではないフレーズや単語もあり読みにくくはありましたが、ちょっとぐらいのことは気にかかりませんでした。「これだ」、「これをしたかったんだ」と思いました。

ケースは、ソフトウェアのバグが目に飛び込んでくるように発見できるという、あるアスペルガー症候群の人の証言で始まります。「変わらないことを好むので、異常はすぐに発見できるのだ」と。「なるほど!!」と思いました。
発達障害の人は視覚優位の人が多いといわれています。ルールや法則がある世界や状況に安心感を覚えるといわれています。実際、息子といた時も似たような体験をしました。散歩で外を歩いていると急に空をさして「飛行機」ということがあったのです。よく見ると青空に白く小さな点が一つ。視線は上にはほとんどいっていなかったはずなのですが、息子の目には瞬時に飛び込んでくるようでした。不思議な才能だなと思っていました。
そういった感覚と、今読んでいるスペシャリスタナ社で働くアスペルガー症候群の人の証言がシンクロしました。特性が弱みではなく強みとして活かされている。しかも仕事というのがソフトウェアのバグを発見するという、高度な仕事である。福祉企業ではなく、IT企業として成立しているとは・・・。説明に圧倒されながらページをめくりつづけました。

なによりも共感したのは、「資本主義という同じ土俵で戦って、『健常者』という人たちを凌駕している」ということでした。スカっとしました。障害がある人へのアプローチはいろいろとあると思います。ただ今までのアプローチではいつまでたってもチャリティー感覚、支援感覚でなにか違うなという印象を私は持っていました。それがスペシャリスタナでいきなり欲しいものにたどり着いた気がしました。

どんな分野であっても同じ土俵で負けることで、「こいつやるな」とはじめて対等になれる、相手のことを知りたいと思う。そういう感覚を人間は持っていると思います。発達障害の人の一部分でもいい。こういった感覚を『健常者』に与える人たちを組織することが、本当の意味の発達障害への理解につながるのではないだろうかと思いました。

ケースを何回も読んだ後は、実際にスペシャリスタナのウェブサイトを訪れました。当時から英語ページがあったので、ある程度のことがわかりました。写真も使われていたので、雰囲気もわかりました。その後もSpecialisterneをネットで検索しました。どうやら私が知らなかっただけで、発達障害の専門家の中では数年前から話題になっていた企業とのことでした。
ケースを執筆したハーバード大学の教授やデンマーク出身と思われるスペインのMBAの教授たちについても調べました。どんな専門なのだろうか、連絡先はどこにあるのか。5月のシカゴの朝は早く明けます。空が薄明るくなるまで調べられることはすべて調べました。

日本語でもネットでこの会社について調べました。一つも出て来ませんでした。2004年にデンマークでできた会社であり、2008年当時まだ記事が出版されたばかりで、日本人としてはおそらくこの記事を読むのははじめてに近いだろうことがわかりました。しかもそれが発達障害に関係する、つまり親御さんなどである可能性は更に少ないこと。大げさですが、コロンブスが新大陸を「発見」したような感覚でした。すぐに「日本にもこの会社のような組織が欲しい」と思いました。スペシャリスタナの支社になるのか、スペシャリスタナに似た会社を別途立ち上げるか、どちらかかな、と考えました。

ただしはじめは自分で立ち上げることは一切考えませんでした。ITの分野ですし、自分は発達障害の専門家、つまり臨床心理士でも精神保健福祉士でもないからです。しかし必ずこのスペシャリスタナに興味を持つIT系・福祉系の人がいるはずである。自分は英語もある程度わかるし、ビジネススクールのあと1年を使えるという自由がある。プロジェクトを前進させて、専門家が組織を立ち上げる際にお手伝いしようと思いました。なんとも恥ずかしいぐらいに当時は「自分で起業」という気持ちはなく、とにかくすごいものを知ってしまったので、それを調査し知り尽くし、適任者にバトンタッチしようと思っていました。

翌朝、チュルさんのプロジェクトの会議です。ほとんど寝ないまま、ケロッグの校舎に向かいました。いつもは遅れてくることの多いチュルさんでしたが、その日は一番乗りでした。私が二番。5月の眩しい太陽が大きな窓のついたミーティングルームに注いでいました。8人程度が座れる机の奥にチュルさん。その対面に私も座り、挨拶もほどほどに切り出しました。他の人がきていないので日本語です。「チュルさん、来学期からは僕は自分のプロジェクトをするかもしれない。すごいのを見つけてしまった。」なんだかチュルさんもうれしそうでした。ただしどの程度の情報が集められ、どこに向かうプロジェクトになるのかはまだわかりません。夏休みの間に情報を集め、秋に再会したときに情報を共有することにしました。まだ名前は決まっていませんでしたが、Kaienが動き始めた最初の日でした。

第3回は、起業希望ゼロだった私が起業に向けて気持ちが傾いた米国の企業文化を取り上げます。

関連ページ: 代表メッセージ

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