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官公庁 障害者雇用の水増し問題発達障害 就労支援の現場からの考察

2018年8月28日

 官公庁の障害者雇用が水増しされていた問題。当社内でもスタッフや利用者・ご家族から「残念だね」という声が上がっています。日々発達障害の方の就職支援をしている身からするとこのタイミングで自分の考えを発信するのは躊躇する面もありましたが、せっかく世間の関心が高まっているようですので、そもそも制度の意義から検討してみたいと思います。

障害者雇用は必要なのか?国別の考え

 そもそも障害者雇用というのは必要なのでしょうか?現状は国によって様々です。

 欧州(フランス・ドイツ)や日本の制度を参考にした台湾などは障害者雇用という特別枠の考えがあります。それぞれ●%の雇用率という点が日本と似ています。一方で、アメリカは(障害者への差別が禁止されているのはもちろんですが)機会平等の観点からむしろ「特別枠が差別的」ということで一般の職場へのインクルージョンが推奨されています。またスウェーデンは国営企業サムハルで多数を雇用するモデルです。

 特別なサポートがある環境の方が本人の能力を発揮できるという考えも納得できますし、特別扱いせず普通の職場で自然なサポートをする方が理想という考えもまったく間違いとは言えません。民間ではなく国が率先して動くということもありえるでしょう。障害のある人によってどのような形を望むかは変わりますし、経営者や人事の考えでも違うでしょう。弱者へのサポートのためどうしても国が出てくる領域であり、法律の作り方で国の考え方の違いも反映されるところです。

障害者雇用促進法って良い法律?時代にあっている?

 日本で障害者雇用が必要としても、制度の細部への考えも人それぞれです。法律で決まっているんだから守るべきという人もいるでしょう。一方で雇用率を守っていても、最低賃金ぎりぎりの契約ばかりだったら、そもそも法の精神を曲げている印象があります。

 そもそも「障害者雇用促進法」は1960年にできた「身体障害者雇用促進法」を改正してできている法律です。傷痍軍人の支援から日本の国としての障害者支援は始まっていますし、その後は育成会など知的障害の子のいる親の活動によって障害の範囲が広がってきています。発達障害など精神障害の人たちまで法律の幅広がってきたのは歴史的には最近で今世紀に入ってから、すなわち2,000年以降のことです。

 上記のように範囲が広がったり、合理的配慮(障害のある人の配慮を、事業主や学校側で先ぎめするのではなく、一人ひとりに合わせて後ぎめするような考え方)という概念が入ったり、時代とともに進んでいるところがある一方で、実は雇用率の考え方は時代が進む中でほとんど変わっていません。例えば、下記のようなことはみなさんはどう思いますか?

  • 【障害者雇用に換算されるために 長時間働く必要がある】 1週間に30時間働くと1ポイント(一人分)、20時間以上30時間未満は0.5ポイント(半人分)、20時間未満だとそもそも雇用率に換算されない。障害のある人にとって20時間働くということ自体が障害(体力面、通勤面)になりえる。
  • 【障害の程度はあまり考慮されず “普通に近い”人が好まれがち】 障害の程度が画一的。知的障害が重い場合など「重度」(二人分)になることもあるが、認定されるのは稀とも言える。実際は「軽度」であればあるほど受かりやすい。つまり障害者っぽくない人が受かりやすい。
  • 【雇用関係があれば良いため “分離”した仕事場・作業であることも】 例えば通常の部署や職種で雇うのが難しい場合は特例子会社という制度があり、別の建物や別の作業をしていても問題ない。更に進んで、自社の既存社員を異動させず、業者に採用・仕事選定・オフィス選定までを任せ、ほぼ委託状態にすることも実質可能である。
  • 【官公庁は有期雇用が多く 安定した雇用とは言いづらい】 問題となっている官公庁の障害者雇用。多くは「チャレンジ雇用」で3年以内の有期、また30時間/週を超える契約でないことも多い。(実際、今検討されている対策は、チャレンジ雇用の人数拡大や、”1ポイント”扱いできるように就業時間の拡大であり、正規職員として現場で雇う形になるかは大きな疑問がある。)

 法律が出来るとそれを守らないよりは守ったほうが良いのは確かです。しかし守ることが目的になって、なんだか不思議な事がたくさん起きているのが現在の障害者雇用ですし、それの一つの課題の吹き出し方が官公庁の障害者雇用水増し問題やそれに次ぐ議論になっている気がします。これを機に障害者雇用って何?という議論を始めたいです。

「働くために障害のある人」の定義と「幸福追求の手法」の議論

 ではどのように議論を始めるべきか?それには、障害をどう定義するかということで、障害者雇用への考え方も変わってくるわけです。かわいそうな人なのか、支援があれば職場でも戦力となる人なのか、支援があっても戦力となるのは難しくて(語弊を恐れずに言うと)ある程度の「下駄を履かせる」方が良い人なのか、ということです。身体・知的・精神・発達という障害ではなく、その他の働きづらい人(高齢者やひとり親、高齢者介護を抱える人等)は障害に入らないのかという引いたところから考えるべき問題かもしれません。この「働くために障害のある人」をどの程度まで含めるか、その中での色合いの違いをどのように考えるかが一つです。

 そして2つ目に、定義した障害にあたる人たちが仕事を通じてどのように幸福追求できるかの手法の問題だと思います。一つ一つの官公庁に任せるよりも大きな障害者雇用の公的特例子会社を設立したほうが良いのか、企業に負担を強いても一つ一つの企業に就職をして貰う形が良いのか、そしてその時の制度設計でどの程度柔軟に雇用を認めるべきかも議論に登るべきところだと思います。

「障害者雇用水増し」問題というよりも「行政内部の都合の良い法令解釈」問題

 ただし今回の水増し問題は、(たしかに障害者雇用を現代日本でしていくときに生産性や経済合理性の難しさを感じさせる面も少しはありますが) むしろ行政が民間には法令解釈を狭く、原理原則を押し付けることが多いのに対して、内部では解釈を自己都合で自分勝手にしていて、しかもその状態を公表すらしていなかった、という残念な体質にあるのだろうなと思いました。

 もちろん、ひとりひとりの公務員の方が悪いというわけではないでしょう。個人個人と言うよりも日本の行政組織ってそんなものかなぁという諦めみたいなものを感じさせます。財務省の公文書書き換え問題とか、金融庁の情報漏えい問題は、政治家や統治者が絡む部分でしたが、そういったことがなくても法律を遵守すべき役人が組織的と思われても仕方ない、自分たちに甘い行動をとっていたのは民間の立場からするとがっかりします。まずはここを質してほしいと思います。

 そういえば文科省の複数幹部が関わったと思われる入試・贈賄問題、財務省幹部のセクハラ言動問題も記憶にあたらしいところです。今回も障害者雇用の無理解と言うレベルの手前で、日本の官公庁って法令遵守大丈夫なの?どうやって国民は行政と向き合えばよいの?という信頼問題というわけですね。

 官公庁がどのような障害者雇用がありえるかについてはまた次のブログで書こうと思います。今回はあまり報道されていませんが、教育委員会は民間より高めに障害者雇用率が設定されていて学校の現場での障害のある人の活用方法はこれを機会に話し合いたいですし、官公庁は先に書いた通りチャレンジ雇用を進めるのか他の方法があるのかについても検討していきたいです。

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