ネガティブなものに対抗するためにはネガティブなものをはっきり見なくてはいけない
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大した結論には至らないと思いますが、心に思いつく事柄をつづります。
帰宅途中。スマホでやまもといちろうさんのブログを読みました。
【御礼】『読書で賢く生きる。』が地味に重版になりまして
http://kirik.tea-nifty.com/diary/2015/04/post-0b5b.html
読み進めていただければお分かりになりますが、やまもと氏が失読症(あまり使われない言葉ではありますが学習障害の一つで、読むことに多くの困難を伴う特性)であることをカミングアウトされています。
また、読者から感想のメールを何通か頂戴していまして、一通、私と同じような症状で幼少時代を過ごした失読傾向の中学生の男の子と母親からの悩み相談でありました… 昔のことや、いま現在も続く悩みや問題も踏まえて個別に折り返しましたが。実のところ、私は私なりに苦労はしたけれども、発達性失読自体は、自分の読めるペースに応じて学び、それを自ら心がけて「読むことを忌避」するのではなく「読み方を自分なりに工夫」することで何となく克服しました。
私の場合は、親が何度も同じ絵本を読み聞かせてくれて、それを一字一句違えず唱和を繰り返すということで、文章を文字ではなく画像で読み解くことでしか解決できませんでした。いまでも、サラッと本を読む、ネットを見るのは逆に難しくて、自分の心に「スイッチを入れて」、集中して読むことができないと、いまだにスムーズに読めないです。
確かに学習障害といえばそれまでなんですが、それは別の意味でほかの人と違う能力の一部でもあって、それを生かすためには別の環境を自分で作らなければなりません。例えば、どこかに就職をして働くにしても、私自身がそうであったように、やはり長続きはしないかもしれない。でも、自分なりの能力を磨いて自分の誇る仕事が作り上げられれば、モノを書いてお金を戴く仕事だってできるようにはなるわけです。原稿が遅れて出版日延びちゃったけど。
多かれ少なかれ、他人と違う自分、他とは異なる何かを常に抱えて人間は生きていくのであって、それが許されている現代にいきる私たちは幸せだなあと思うわけなんですよ、賢いとは到底いえない私たちがこんな本まで出して許される世界なんですから。
ほとんど引用させていただきましたが、にわかには信じられません。あの文章力・作文速度と(ブログを読んでいればわかりますが)ものすごいスピードで英語も日本語も様々な記事や資料を読破している読書力を誇る人が小さいときは読むことが困難でそれをかすかに今も引きずっているとは。。。
『文章を文字ではなく画像で読み解くことで』などは読み書き障害の人に向けた支援法の王道であり、そういったことが広まる前(40年ほど前)にしっかりとお子さんの癖を見抜いて対策をされた山本家はさすがだなぁと思うわけです。(参考: 読み書き障害についての対応法まとめはこちら)
やまもと氏のカミングアウトを読みながら、もちろんすべての人が改善する余地・可能性はあるが、やまもと氏のように”克服する”ためには一つ絶対必要な要因があるとも感じました。高いインテリジェンスが必要(IQが高いと何かが苦手でも、もともとは違う分野をつかさどる脳機能=知性で”代償”することができ、やまもと氏の場合も優れた画像処理能力や知識力・解析能力を使って言語力を別の方法で獲得できたと思われる)なのは自明かもしれませんが、最も大事なものはインテリジェンスではなく、生きる力があること、だと思っています。
生きる力があるからこそマイナスをプラスにでき、『障害と言えばそれまでだが、能力の一部ともいえ、それを活かすために別の環境を自分で作り出す』という発想に至れるわけです。やまもと氏の場合この生きる力は生来のもののような気もしますが、育った環境が厳しくもあたたかい環境で、生きる力が更に育まれたのではないかと推測できます。
以前、僕も以下のブログで書いた通り、生きる力は、自分の有るがままを受け止める力=自分の弱いところをしっかりと受け止める力から始まり、それによって、人生を楽しく生きることができる力にたどり着くと説明されています。ブログで引用したTED動画の社会心理学者が詳しくわかりやすく動画で説明してくれていますのでぜひ見ていただきたいですし、さらに風呂敷を広げると、同じブログで引用した草枕(夏目漱石著)も読むといろいろと示唆がわかると思います。
「社会を変える」勇ましさの残酷さと、「社会を受け止める」力のパラドクス
http://ceo.kaien-lab.com/2014/02/blog-post_4.html
さて、偶然にも、本日新聞を開いたところ、ちょうど同じようなことを言っている人がいました。村上春樹さんです。お試しの東京新聞、ありがとうございます。8面に以下のようなインタビュー記事がありました。抜粋です。
(『木野』という短編小説は)自分がふたをしめて見なくしていたものと直面することで、人と人とのかかわりというものが、また大事なものとして復活してくるという物語。
「その孤独。断絶感。そして一種の恐怖を経て、再生してくるんです。この再生してくることが一番大事です。再生がなければ、小説として意味がないと思うのです」
「ネガティブなものに対抗するためには、ポジティブなものを自分で打ち立てなくてはいけない。そのためにはネガティブなものをはっきり見なくてはいけない。」
偉い人はやはりえらい理由があり、というのも、いろんなところでしっかりと根っこをつかまれているので、同じことを多面的に教えてくれているような気がします。作家は偉大ですし、読書というのは確かに重要な気付きを得られますね。
それにしてもこのネガティブなものをしっかり見られる人もいますし、見られない人もいます。いったいどこでこの差がつくのでしょうか?遺伝なのか、性格なのか、育ちなのか、教育なのか、、、すべての複合ではありましょうが、濁流のような現代社会で楽しく生きるには、一番重要な力ですので、どうしたら身につくのかやはりとても興味があります。
発達障害の人の支援をしていても、特にお子さんの支援では、発達障害のアセスメントとか小手先の技術や理解ではなく、この生きる力、ネガティブなものもしっかり見る力をつけさせることが、重要だと思っています。ちゃかちゃかした支援法が発達障害者支援では声が大きく、親御さんの中でもそれがあれば安心みたいに思われている方が多い気がしますが、僕はやはり大事なのは根っこの部分だと思いますので、根っこを伝えられる人間・組織になろうと改めて思いました。
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