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海外メディア 『考えられる限りの支援を受けた発達障害児の第一世代 大人の世界へ(3)』

2011年11月19日

第一世代には最近お会いする頻度が高まっている。職場で扱いやすいという評価を受けそうな人が多いが、人としての意思・アイデンティティが希薄な感じも受ける。「ゆとり世代」ということなのだろうか?それにしても。。。

ということで、発達障害児の第一世代のNY Timesの翻訳第3話。過去のリンクはこちら。(1)(2)

原文はこちらから。『自閉症であることと大人の世界で居場所を探すこと』 Autistic and Seeking a Place in an Adult World (New York Times)

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父の先の転勤先のミュンヘン。ジャスティンは癇癪で学校から追放されてしまう。その前の時代だったら、施設に入れることになったかもしれない。ジャスティンの両親は米国に帰り、よりよいサービスを求めることになった。

フロリダの学校でも、自閉症の程度の強さを指摘された。すでに抑うつ状態の母親には重く響いた。 しかし行動療法によって、ジャスティンの癇癪は薄れていくという効果も出てきた。絵を描くことによって、「今日は何をしてきたの?」という支援者からの質問にも答えられるようになった。ジャスティンは9才の時には、漫画大会で賞を得るほど絵が上手になっていた。(当時の新聞記事(1)(2)

そして、ジャスティンは、障害のある子どもが通常クラスの子どもと完全に一緒に学ぶコースに入ることができた。母親は、まだジャスティンが苦手な社会スキルの向上にはもっとも良い方法だと考えた。

裁判所で、統合教育(障害児が通常クラスで一緒に学ぶクラス)に取り組むように規定した後でも、実際上に統合教育のクラスに入れることは難しかった。しかしジャスティンの家族はモンクレールですでにトレーニングを受けた教師や整った制度があり、そこでならジャスティンが受け入れてもらえることを知ったのだ。

2002年にモンクレールに引越し。しかし新しい環境や新しい支援者へ適応するのはジャスティンにとっては難しい。時間がかかった。教室では絵かきに没頭。2本線を書くごとに、鉛筆を削ったりした。

学校ではパソコンを使ってアニメーションを描くことを新たに習った。(その時の作品) 家族には「近寄るな」「(僕に)興味をもつな」と言うような反抗もあった。が、彼の自閉症的な特性は、クラスでは人気も読んだ。人気の無い先生に、「君は首だ」というのにクラスメートは喜んだし、スケッチブックは他の生徒と交流するのに役立った。 

マンハッタンのOutsider Art Fair(アウトサイダー・障害のあるこどもの作品展)で約40万円でジャスティンの絵画が何作品も売れることもあった(その時の作品)。両親は絵画の先生を雇ったり、ピクサー社へのツアーを組んだりした。

一方兄のジュリアンは、「母さん、ジャスティンの絵画の才能に将来を見るのはいいけれども、もしうまく行かなかったらどうするの?」という声も家族の中で出ていた。そんな中でも、学校の先生たちはジャスティンが絵画の道を進むのを応援し続けた。ジャスティンにとって(そして他の若者にとっても)、親の手から離れて可能性を追求する道が、ゴールに到達する鍵になると思われたからだ。

ジャスティンは毎週通っている医師について聞いた。母親は答えた。「ジャスティン、ゴールはなんだか知っているの?」 ジャスティンは知っていた。こう答えたのだ。「自立」。

ため息を付いてアイポッドを聴き始めた。

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残りは7回分です!!どうやら来年まで訳は掛かりそうだけれども、ジャスティンは本当に応援したくなるキャラクター。

 
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