平野啓一郎さんの「本心」を読んで
ある書評で読み、面白そうだなと思ってまず社員に勧め、しかし自分が読みたくなって読み始めたら、あまりにも引き込まれて、日常と小説の境が不明瞭になり、仕事にも生活にも影響が出るレベルになった平野啓一郎さんの「本心」。自分の個人的な体験に引っかかりまくるうえに、発達障害支援の視点からも考えさせられる本でした。支援者の立場から読後感をまとめます。
2040年の「働く」がリアルに表現されている
まず驚いたのが2040年に、日本人がどのように働いているかがリアルに表現されていること。私の、こうなってほしくないなというネガティブな意味での、想像に近く、納得感ありながら読みました。
例えば、段ボールの回収作業が人間に残された仕事として出てきます。確か日給8,000円だったか…。物を掴む動作はロボットには難しく、AI/ロボット化で時代を先取りするAmazonの倉庫でも、人間は摘まむ/掴む作業に従事していると聞いています。19年後はこんな感じか…やや絶望的な気持ちでページをめくりました。
一方で、新しい富を獲得する人がどういう人たちかもわかりやすく綴られています。イフィーと呼ばれるアバター作家がその象徴です。そのほか、死後も稼ぐ人すら出てきます。こちらも非常に納得する形で物語に登場し、近未来はこうなるんだという説得力があります。
そこには、社会が大きく持てる者(家族)と持たざる者(家族)に二分されていて、一人の力というよりも家族単位で勝ち負けがはっきりする恐ろしさを見せつけられた気がします。「こういう社会のままでよいのですか?今のまま行動を起こさないとこうなっちゃいますよ」という作者からの警告が行間から絶えず聞こえてきます。
2040年なぞ、もうすぐそこ。今、当社の教育事業TEENSで見ている10歳のお子さんは2040年は29歳。主人公と同じ設定です。こういう社会を想定しながら支援をしないといけないと感じました。
その他にも、気候変動で災害級の極端な天気が増えて、また感染症の蔓延などもあって、移動や勤務が制限される様子(なのでコロナ禍のびくびくしながらの勤務が日常になる)や、日本が経済的に弱まって覇権を握る中国・米国にすがっていくような光景など、見たくはないけれども冷静に考えたらこうなるよねというこの国の近未来が描かれています。
そして繰り返しですが、今支援している子どもたちはその世界で最初からサバイブしないといけないわけです。そして今30・40代の人も恐らく逃げきれません。高確率で一生働く現実に直面することになるのでしょう。そのための健康を維持するにもお金が必要な時代になりそうですね…。
発達障害とダブルマイノリティ
ダブルマイノリティも話題に出てきます。(ダブルマイノリティは通常、LGBT×〇〇という意味ですが、ここでは発達障害×〇〇という文脈で考えてください。)
実際、現場で支援をしていると発達障害ピュアな人は少なく、様々な少数派、あるいは社会的弱者の層と絡んでいます。そういえば発達障害クリニックの神尾陽子先生も「発達障害は磁石のように他の困難とくっつく」というような表現をされていました。(それは決して発達障害だと他の問題を吸い寄せるという意味ではなく、発達障害と何かの困難がくっつくと問題が大きくなりやすいという意味だと思います。)
物語の中で重要人物の一人である、外国人労働者の娘。彼女が母国語であるはずのミャンマー語も、生まれ育った日本語もうまく喋れず、いわゆる母語がない状態で苦しむ様が、克明に描かれています。読みながら「ああこれ、発達障害がうっすらベースにありつつ、外国人労働者の子どもとして教育もしっかり受けられず、貧困も重なっているケースかな」と感じていたところ、読後にページをめくっていったら「『発達障害』とされる外国人の子どもたち」が参考文献として掲載されていて驚きました。意図してこういう設定なのだということですね。
これからはこういう複数の困難さが関わるケースがどんどん増えていくと思います。ほとんどの場合は貧困がまずあり、そこに障害や、そのほかのマイノリティがくっついていく感じでしょう。支援者としても、輻輳的な課題に対応する力が求められていくのだと思います。そして幾つもの負の連鎖を見ていくには単なる専門家ではなく、学際的な感覚での支援が必要になります。支援者としてはチャレンジングですが、経済的にも教育的にも衰え行く日本で、そうした支援者を計画的に地域の中で育てられるのか、予算を確保できるのかははなはだ疑問です。
いったい社会福祉ってどういう形になっていくのでしょう。この作品では、年金制度はおおむね崩壊したように書かれています。つまり貧乏人(というほとんどの国民)は死ぬまで働かないといけない設定です。だからこそ周囲に迷惑を与えないために、良い言い方で言うと尊厳死、悪い言い方だと経済的に追い詰められた安楽死が法的に認められている設定になっています。
それだけではなく、国力との衰えとともに、高額医療費制度もなくなっていくのでしょうし、雇用保険や介護制度も崩壊してしまう可能性もあります。また、作品中で表現されているように、そんな悲惨な状況でも、一部の稼げる少数派を叩きのめすとそもそも日本システムがより悪くなるので、多数派の弱者も少数派である持てる者・家族を認め続けるといういびつな形になるかもしれません。
コロナ対策で(主に票田となる高齢者を救うために)無尽蔵にお金を使ったり特定の業界を締め付けて再起不能にしたり、確かに感動的なゲームが多いですが非常に高い観戦料を知らぬ間に払っているオリンピックの自国開催による借金がいったいどういう社会を生み出してしまうのか、暗澹たる気持ちになります。
作者は最後に、私の読解力が追いついていればですが…、こういう近未来の世界にあっても、一縷の望みを我々に提示しているような気がします。一読目は悲惨なところに目が行ってしまいましたが、今再読中ですので、二回目は望みを中心に読み解いていこうと思います。
なぜ河津七滝?
今回の作品に惹きつけられたのは上記理由だけではありません。卑近な話ですが、この作品は、個人的に非常に深いところで関連がある設定や表現がいくつもありました。幾つかはあまりに個人的なこと…なので一つだけ人様に公開できることをあげると、重要なスポットとして出てくる河津七滝(かわづ ななだる)です。実は我々鈴木家の墓は河津にあります。父親が河津生まれ・育ちなのです。
主人公が河津に向かうまでの伊豆急の車窓からの風景の描写も本当にそんな感じで毎回眺めていますし、駅から河津七滝に向かうバスは、先日も墓掃除に行く途中で乗ったばかりの路線です。まあ2040年はさすがに無人化・自動運転化しているのではないかなとは思いますが…。
河津に行くたびに、親ももうそろそろ山沿いにあるこの墓に入るし、自分も数十年後は(七滝から流れる)河津の川と海を見ながらこの地で眠るんだろうなと、河津に行くたびに死を身近に感じます。このため、今回の作品のテーマである「死の一瞬前(死に際に何をしたいか?)」とシンクロしすぎる個人的境遇で、本当に心の底に響きました。
そしてこのほかにも偶然と思うような自分と重なる設定がいくつかあり、ちょっと気持ちが悪かったです。いい作品というのは、多くの人に自分のために書かれたのかと錯覚させるものがあると思いますが、この作品は本当にそんな感じでした。
「本心」特設サイト: https://k-hirano.com/honshin
平野啓一郎さん
平野さんは私と同世代。自分が大学生の時に、京都大学の現役学生で芥川賞作家となったのが平野さんです。その時の「日蝕」は本屋でチラ見したと思いますが、難しすぎて手に取っただけで終了していました。同世代で化け物みたいだな、という印象を覚えた記憶があります。
それから20年以上が経ちました。平野さんの作品を読むのは実は「本心」が初めてです。私も当時の倍の年齢となり少しは物事がわかってきたのと、おそらく平野さんも市井の民にもわかる文体で書いていただいたのでしょう(ありがとうございます!)。つまり両者が近づく形でようやくしっかり読めることができました。長く生きるということは良いこともあります。
ちなみに作品の中に「存命中の作家は読まない」というような表現があり、自分も実践している習慣なのですが、今回はその禁を破ったことになります。とはいえ、その禁は高校時代だったと思いますが、村上春樹さんのノルウェイの森を読んだ時に「死後30年たって評価が定まった作家しか読まない。人生短いのに評価が定まらない最近の作家の作品を読んでも時間の無駄」という登場人物の発言を愚直に守ってきたのですが、そもそも村上春樹さんを読んでいる時点で矛盾もあり…、大したルールでもないのですが…。
平野さんはTwitterなどでの政権批判が強すぎたこともあり、「存命中の作家は読まない」というルールのほかに敬遠する理由でもありました。でも作品を読むと本当にすごいですね。三島の再来と言われているのが良くわかります。今回も作品を読もうと最終的に思ったのが、「三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実」というTBSのドキュメンタリーで、三島の当時の言動について平野さんが非常にわかりやすく解説しているのを見て、この人の作品は読んでみたいと思ったからでした。
なお、このドキュメンタリーも、今の日本に訴えるものがあります。完全に敵対関係にありそうな東大全共闘と三島には実は「共通の敵」が認められる。それは内部から変革できない日本である、というようなストーリーなのですが、今のコロナ騒ぎを見ていると、こういう行動する人たちがいる、それが社会に影響を与えていた時代は良かったな。今はもう無力感から全国民が流されるだけだもんな。思想や行動への評価はともかく、三島が今生きていたらどういうことを伝えてくれるのかと、当時のギラギラした状況がうらやましくも思います。三島の再来という評価は平野さんの作品への文学的な側面だけではなく、社会へのメッセージ性にもあるのかもしれません。
だいぶ読書感想文から逸れてしまいましたが…、いずれにせよ、自分が出来ることをして、少しでも社会に響くことを訴えていこうと感じました。
初読で一番心に残ったフレーズ
最後に印象深かったフレーズ。何故だか理由はあると思うのですが、不思議と何故だかわかりませんが、下記の部分が一番心に残りました。
「僕は、あなたのお母さんとの関係を通じて、小説家として、自分は優しくなるべきだと、本心から思ったんです」(13章)
文責: 鈴木慶太 ㈱Kaien代表取締役
長男の診断を機に発達障害に特化した就労支援企業Kaienを2009年に起業。放課後等デイサービス「TEENS」、大学生向けの就活サークル「ガクプロ」、就労移行支援および自立訓練(生活訓練)「Kaien」 の立ち上げを通じて、これまで2,000人以上の発達障害の人たちの就職支援に現場で携わる。日本精神神経学会・日本LD学会等への登壇や『月刊精神科』、『臨床心理学』、『労働の科学』等の専門誌への寄稿多数。文科省の第1・2回障害のある学生の修学支援に関する検討会委員。著書に『親子で理解する発達障害 進学・就労準備のススメ』(河出書房新社)、『発達障害の子のためのハローワーク』(合同出版)、『知ってラクになる! 発達障害の悩みにこたえる本』(大和書房)。東京大学経済学部卒・ノースウェスタン大学ケロッグ経営大学院修了(MBA)。星槎大学共生科学部 特任教授 。 代表メッセージ ・ メディア掲載歴