海外メディア 『考えられる限りの支援を受けた発達障害児の第一世代 大人の世界へ(2)』
前回エントリーはこちら。英語の原文はこちら。今回からは若干端折って訳していきます。
前回の要約・・・米国NJ州。ジャスティンは自閉症と診断されている高校生。幼少の頃から受け続けた療育。だが、まだ就職にはほど遠く、日々の生活でさえ一人ではまだ難しい。高校を卒業すると行政の支援プログラムは受けられない。自立した生活をおくるため、得意な美術のスキルを生かして就職を目指す。支援者のスタントンポールさんとの二人三脚が始まった。
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スタントンポールさんと外に出る。お店でお金の使い方や注文の仕方を学ぶ。なかなかうまくいかない。スタントンポールさんもジャスティンに指導するより前に、まずジャスティンのことをお店の人に理解してもらい、支援に協力してもらうという段取りまで必要。
電話応対など社会スキルを学ぶ練習。うまくいかないがジャスティンは何度もトライする。上手くいかないときジャスティンはピノキオの歌をうたう。「苦難を乗り越えて人間になる」というストーリーを自分と重ねあわせているのだろうか。ジャスティンにはそういう複雑な考えを言葉でまとめることは難しい。
ジャスティンが診断されたのは3才の時。その時、彼の両親は、他のケースと同様、息子の将来を案じ途方にくれた。しかし、自閉症に関する研究が進み、しつけが原因ではないことがわかり、子供の頃からジャスティンは療育活動を受けられるようになっていった。自閉症の原因はまだ確実にはわかっていないが、遺伝的、環境的な要因が複雑に絡み合っていると考えられている。
なお、自閉症といっても症状は一様ではない。たとえばジャスティンの場合は音に異常に敏感だが、他の自閉症の場合は、光や、触られることを嫌がったりする。活動的な人もいれば、静かなタイプもいる。半分は知的な遅れがあるが、サバンと言われる驚異的な能力を持った人もいる。ジャスティンが美術の才能があるように、何かに特に秀でたケースも多い。
食事療法や(イスラエルで受けた)イルカ療法など、ジャスティンの両親は様々な療法を試したが、どれも大きな成果は挙げなかった。しかし4才の時に受けた療育で、簡単な手話でジャスティンと意思疎通を図れるようになった。2歳年上のジャスティンのお兄さんであるジュリアンもその手話を学んでいる。(動画あり)
夫婦は3人目の子供はリスクがあると思いつくらなかった。しかしそれは夫婦がなくなったとき、ジュリアンが一人ジャスティンをケアすることになる可能性がある、という意味でもある。
国際的なビジネスマンであったジャスティンの父親。仕事のため家族もヨーロッパに移り住んだ。その頃、ジャスティンが5才の時、ジャスティンがディズニーの絵を上手に描き始めた。(続く)
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あと8頁もあります。ゆっくりがんばります!!