発達障害丁々発止9 『発達障害理由の求刑超判決を考える』
ようやくこの問題について調べて書く時間ができた。判決がでてほぼ2週間。今日被告側が控訴したという。(朝日新聞)
僕は2つを感じた。ひとつは『正義と悪』、もうひとつは『除外変数バイアス (omitted variable bias)』である。
『正義と悪』
今回の事件にかぎらず、発達障害の特性のある人たちと接していて思うのは、正義感が強く、公平感が強く、平等意識も強いということである。美しくシンプルな社会・人間関係を好むので、ディズニー映画のような世界が実際にあるかのように考えがちともいえる。真面目であり、他人の不幸を望むような人たちでは元来無い。理想的なほどにピュアな心を持っているという長所がある。
しかしそのような正義感・ピュアさは、濁りに濁った人間社会には当然通用しない。自らの美しい、清い意見・考え・思いを上手に発信できず、かえって表面上は臨機応変さの弱さや表情の乏しさ、共感力の弱さから、本来愛する社会から、本人が理解できないうちに除け者にされることが多くなってしまう。
今回の殺人事件についても、社会の「正義」への思いが裏切られたことによって「悪」の行為に落ちていってしまったのではないかという気がする。発達障害の人と接するときは、やはり「性善説」で清い心で考えていることを前提として考え始めないと、大きく物事を見誤ることがある。
司法の場では、その点を最終的に考慮されることはあまりないのではないかと思うし、殺人は殺人であり罪ではあると思うが、少なくとも元来、発達障害の特性は殺人とは正反対の特性である。地裁の判決要旨を読んでいて違和感を感じるのはその点であり、アスペルガー症候群が悪の根源のように読めるところである。むしろ逆であることを多くの人には分っていただきたい。
『除外変数バイアス (omitted variable bias)』
一方で、今回の被告が殺人を犯したことは争いがないことであり、やはりそれがどの程度発達障害と関連するかに考えが及ぶ。その時に僕の頭にふと浮かんだのが、『除外変数バイアス (omitted variable bias)』である。MBAで統計を学んだ時に徹底的に植え付けられた思考方法である。MBAで学んだトップ10の概念の一つかもしれない。それを当てはめて今回の判決を考えてみる。
今回の判決は、
発達障害 → 殺人
というわかりやすい論理で事実理解、因果関係の理解がされているようである。ただ世の中の多くのことは『除外変数バイアス (omitted variable bias)』がある。今回の事件で言えば、発達障害だから殺人を犯すのではなく、発達障害だから、他の事象が起きがちで、なので殺人まで到達してしまったという隠された因果関係が無いか確認する必要があるということである。
いじめを受ける → 不登校・失業・貧困など
↗ ↘
発達障害 殺人
今回の事件に当てはまるかどうかわからないが、例えば上のようなリンクがあるとすると、いじめや不登校・失業・貧困などの変数は見えにくいし立証しにくいので、見えやすい発達障害と殺人の関係だけを取り上げて物事を判断してしまう。このような「重要な変数を除外」して「バイアス」をかかった状態で因果関係を理解しまうことが『除外変数バイアス (omitted variable bias)』である。
判決要旨を読む限りでは、被告人は何らかの生きづらさを抱えていたために30年もの間、引きこもりになっている。これだけでも社会から除け者にされた少数派の苦しみがあったことは明白である。古今東西どこをみても、やはり少数派や貧困は反社会的な行動とどうしても結びつきやすい。
判決文にある文言をやや重箱の隅をつつくように指摘してしまうと、「社会秩序の維持」のためには発達障害の人を閉じ込めておくというのは問題の解決にはならず、今回のことから学ぶべきは、発達障害など少数派になりやすい、貧困に追い込まれやすい人をどう社会の中で受け入れ、アクティベイトしていくかという事になると思う。
まとめると、『正義』感が強いという特性をまずは信じてあげて接しないと発達障害の人たちは心を開くはずはないし、その奥底の優しさを把握出来ない。また発達障害が元凶なのではなく、社会からの蔑視・隔離が発達障害など少数派を追い込むことになりがちである、と思う。
今回の判決は、(当該被告人の更生についてはわからないが)、少なくとも発達障害のコミュニティ全体からみると、大いに誤解を生み、さらなる辺境に少数派を追いやる不味いメッセージを与えてしまったのだと思う。控訴審でのやり取りを注目したい。
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最後に、判決要旨のPDFをはじめ、各団体からの声明・意見のリンクを貼り付ける。
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