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発達障害丁々発止9 『発達障害理由の求刑超判決を考える』

ようやくこの問題について調べて書く時間ができた。判決がでてほぼ2週間。今日被告側が控訴したという。(朝日新聞) 

僕は2つを感じた。ひとつは『正義と悪』、もうひとつは『除外変数バイアス (omitted variable bias)』である。

『正義と悪』

今回の事件にかぎらず、発達障害の特性のある人たちと接していて思うのは、正義感が強く、公平感が強く、平等意識も強いということである。美しくシンプルな社会・人間関係を好むので、ディズニー映画のような世界が実際にあるかのように考えがちともいえる。真面目であり、他人の不幸を望むような人たちでは元来無い。理想的なほどにピュアな心を持っているという長所がある。

しかしそのような正義感・ピュアさは、濁りに濁った人間社会には当然通用しない。自らの美しい、清い意見・考え・思いを上手に発信できず、かえって表面上は臨機応変さの弱さや表情の乏しさ、共感力の弱さから、本来愛する社会から、本人が理解できないうちに除け者にされることが多くなってしまう。

今回の殺人事件についても、社会の「正義」への思いが裏切られたことによって「悪」の行為に落ちていってしまったのではないかという気がする。発達障害の人と接するときは、やはり「性善説」で清い心で考えていることを前提として考え始めないと、大きく物事を見誤ることがある。

司法の場では、その点を最終的に考慮されることはあまりないのではないかと思うし、殺人は殺人であり罪ではあると思うが、少なくとも元来、発達障害の特性は殺人とは正反対の特性である。地裁の判決要旨を読んでいて違和感を感じるのはその点であり、アスペルガー症候群が悪の根源のように読めるところである。むしろ逆であることを多くの人には分っていただきたい。

『除外変数バイアス (omitted variable bias)』

一方で、今回の被告が殺人を犯したことは争いがないことであり、やはりそれがどの程度発達障害と関連するかに考えが及ぶ。その時に僕の頭にふと浮かんだのが、『除外変数バイアス (omitted variable bias)』である。MBAで統計を学んだ時に徹底的に植え付けられた思考方法である。MBAで学んだトップ10の概念の一つかもしれない。それを当てはめて今回の判決を考えてみる。

今回の判決は、

 発達障害 → 殺人  

というわかりやすい論理で事実理解、因果関係の理解がされているようである。ただ世の中の多くのことは『除外変数バイアス (omitted variable bias)』がある。今回の事件で言えば、発達障害だから殺人を犯すのではなく、発達障害だから、他の事象が起きがちで、なので殺人まで到達してしまったという隠された因果関係が無いか確認する必要があるということである。

       いじめを受ける → 不登校・失業・貧困など
      ↗                          ↘
 発達障害                        殺人  

今回の事件に当てはまるかどうかわからないが、例えば上のようなリンクがあるとすると、いじめや不登校・失業・貧困などの変数は見えにくいし立証しにくいので、見えやすい発達障害と殺人の関係だけを取り上げて物事を判断してしまう。このような「重要な変数を除外」して「バイアス」をかかった状態で因果関係を理解しまうことが『除外変数バイアス (omitted variable bias)』である。

判決要旨を読む限りでは、被告人は何らかの生きづらさを抱えていたために30年もの間、引きこもりになっている。これだけでも社会から除け者にされた少数派の苦しみがあったことは明白である。古今東西どこをみても、やはり少数派や貧困は反社会的な行動とどうしても結びつきやすい。

判決文にある文言をやや重箱の隅をつつくように指摘してしまうと、「社会秩序の維持」のためには発達障害の人を閉じ込めておくというのは問題の解決にはならず、今回のことから学ぶべきは、発達障害など少数派になりやすい、貧困に追い込まれやすい人をどう社会の中で受け入れ、アクティベイトしていくかという事になると思う。

まとめると、『正義』感が強いという特性をまずは信じてあげて接しないと発達障害の人たちは心を開くはずはないし、その奥底の優しさを把握出来ない。また発達障害が元凶なのではなく、社会からの蔑視・隔離が発達障害など少数派を追い込むことになりがちである、と思う。

今回の判決は、(当該被告人の更生についてはわからないが)、少なくとも発達障害のコミュニティ全体からみると、大いに誤解を生み、さらなる辺境に少数派を追いやる不味いメッセージを与えてしまったのだと思う。控訴審でのやり取りを注目したい。

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最後に、判決要旨のPDFをはじめ、各団体からの声明・意見のリンクを貼り付ける。

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発達障害丁々発止8 『発達障害の原因は親の愛情不足、日本伝統の子育てで予防可能という大阪維新の会・大阪市議団の条例案について』

いまだにこれが一政党の条例案だとは信じられないのだが、以下コメント。(※条例案と橋下大阪維新の会代表のTweetを末尾に貼り付けてます)

まず僕が「家庭教育支援条例」を今日昼に一読したときに思ったこと。「幼いな」ということ。

  • 冒頭からして「かつて子育ての文化は・・・」という「かつて」っていつ??とか、「温かく、時には厳しい眼差し」とか主観たっぷりの表現だし
  • 唐突に発達障害が出てきたり、虐待の問題になったり、章立てが論理的な並びには思えないし、
  • 「保護者」といったら、「親」といったりで、使っている文言も揺れるし、
  • 市の条例案なのに前文のところで「本の未来を託す」という表現が出てくるし(※大阪市の条例なので「本市の・・・」ではないのか?どこか県用の文章をコピペしてきたのが前文になっているのか? それとも、大阪府でもなく、大阪都でもないので、いつのまに大阪維新の会は大阪構想を大阪構想にしたの?)
  • そもそも文章がなんだか中学生が、難しい言葉をたくさん使って背伸びして書いた文章のようだし・・・

にわかには、大人が書いた文章、とは思えなかった。なので誰かがそれっぽく書いたのかと思ったのだが、橋下さんの反応を見るに本当らしい。。。

これが「わが国の伝統的子育て」によって得られるレベルであったら僕はその子育ては受けたくなかったしわが子にも受けさせたくない。日本語ぐらいしっかり書けるようになって欲しいし、「バカ文春、バカ新潮」と罵った週刊誌でももう少し理路整然とした文章を書ける人が担当している。「維新政治塾」では政策云々を論じるよりも「我が国の美しい」日本語をきちんと扱えるように義務教育レベルの内容を教えたほうが良いのではないかと思う。そもそも新しい人をリクルーティングする前に今の政党員しかも議員である人たちに「伝統的」な教育を受け直させたほうが良いのかもしれないが・・・。(と少し風刺的に反応してみました m(__)m)

とはいえ、人には間違えがあるもの。それと社会をよくしたいという気持ちはわかるが、それがこの条例案の肝であろう「伝統的子育て」では。。。科学的でもないし、まったく論理的でもない。

マイノリティにとって恐ろしいことは、「信頼出来る」と思われている人たちが、本人たちもまったく悪意なく、むしろその状況を懸念するからこそ本気で、まったく反対のことを行なってくれることである。提唱している本人たちも大真面目であるし、それにたいしてマジョリティはあまり反論しないし、一部のマイノリティ(※発達障害に関心がありそうなのは多く見積もっても人口の10%)が騒いでも、怖いのは結局それがスルーされて、世の中ではこの条例案の考え方が「有り」になってしまうことである。

各所ですでにまとめられているであろうが、念の為に、本条例案での事実誤認や誤解をひとつずつあげていくと、以下のようになる。

  • 軽度発達障害 ==> 知的遅れのない発達障害という意味だろうが、これは誤解を招く(知的遅れがなくても問題が深刻な場合も当然あるのだが軽度というとそちらのほうがよりよいような印象がある)として特に行政や学会ではもう使っていない。
  • ひきこもりは70万人、その予備軍は155万人に及び、ひきこもりや不登校、虐待、非行等と発達障害との関係も指摘されている。 ==> 因果関係と相関関係をぐっちゃにした議論。
  • 乳幼児期の愛着形成の不足が軽度発達障害またはそれに似た症状を誘発する大きな要因であると指摘され、また、それが虐待、非行、不登校、引きこもり等に深く関与していることに鑑み、その予防・防止をはかる ==> 発達障害は先天的・遺伝的であることは科学的にほぼ確か。なので愛着形成云々というのは、言葉を失う感じの誤解。(未だに地動説でなく天動説を信じているのか程度のショック) それに似た症状と発達障害を一緒にするのは、現象は似ているが原因が違うものを十把一からげにして、対応まで一緒といっている暴論にちかい。
  • わが国の伝統的子育てによって発達障害は予防、防止できるものであり、こうした子育ての知恵を学習する機会を親およびこれから親になる人に提供する ==> ひどすぎてコメントをする力を失いそうになるが、なんとかひねり出すと、子育てによって予防や防止ができるわけではなく(※療育やその後の環境調整によって見えにくくなることは当然あるが)、しかもそれが「わが国の伝統的子育て」だとOKというのが発達障害関係の人だけでなく日本以外の諸外国の人たちも馬鹿にするすごい発想だと思う。。。

それにしても、読めば読むほど「伝統的子育て」に新興宗教的に心酔している人がこの条例案を書いていることがわかるし、このマインドセットを解くのは結構時間・工数が掛かりそうだなという気がした。

さて、最後にメディアの役割。実は「自閉症(発達障害の一つ)は親のしつけに関連する」というのは、2008年の共和党の大統領候補、ジョン・マケインも演説で言ったことがある。たしか2008年前半だったと思う。その時メディアは一斉に報道し、翌日マケインが「事実誤認があった」と発言を訂正したことがある。今回は、大阪維新の会という注目すべき、多くの人が期待している政党がつくった条例案でありながら、メディアの反応がいまいちだということ。まじめに「伝統的子育て」を信じている議員たちは「善意」でこの条例案を作っていることを考えると、きちんと声として社会に響かせることは重要である。その役割はマイノリティだといくら今のネットの力を借りてもすぐに風化する可能性があり、だからこそメディアが取り上げて欲しいところなのだが、どうもそうはならない。国会のちょっとした失言を追い回すぐらいなら、こういった10%程度のマイノリティの人が感じている違和感を声として伝えるのがメディアの役割だと思うのだが。。。どうも悲しいことである。

大阪市のこの条例案。まずは完全に無しにしていただき、その気持ちと目標を論理的に科学的に現実のものに出来る案を作っていただければ良いなと思う。

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以下、条例案と橋下さんのやり取りを貼り付けておく。

大阪維新の会  大阪市議会議員団  平成24年5月        
家庭教育支援条例 (案)

第1章 総則
第2章 保護者への支援
第3章 親になるための学びの支援
第4章 発達障害、虐待等の予防・防止
第5章 親の学び・親育ち支援体制の整備

(前文)
かつて子育ての文化は、自然に受け継がれ、父母のみならず、祖父母、兄弟、地域社会などの温かく、時には厳しい眼差しによって支えられてきた。
しかし、戦後の高度成長に伴う核家族化の進展や地域社会の弱体化などによって、子育ての環境は大きく変化し、これまで保持してきた子育ての知恵や知識が伝承されず、親になる心の準備のないまま、いざ子供に接して途方に暮れる父母が増えている。
近年急増している児童虐待の背景にはさまざまな要因があるが、テレビや携帯電話を見ながら授乳している「ながら授乳」が8割を占めるなど、親心の喪失と親の保護能力の衰退という根本的問題があると思われる。
さらに、近年、軽度発達障害と似た症状の「気になる子」が増加し、「新型学級崩壊」が全国に広がっている。ひきこもりは70万人、その予備軍は155万人に及び、ひきこもりや不登校、虐待、非行等と発達障害との関係も指摘されている。
このような中で、平成18年に教育基本法が改正され、家庭教育の独立規定(第10条)が盛り込まれ、「父母その他の保護者は、子の教育について第一義的責任を有する」と親の自覚を促すとともに、「国及び地方公共団体は、家庭教育の自主性を尊重しつつ、保護者に対する学習の機会及び情報の提供その他の家庭教育を支援するために必要な施策を講ずるよう努めなければならない」と明記した。
これまでの保護者支援策は、ともすれば親の利便性に偏るきらいがあったが、子供の「育ち」が著しく損なわれている今日、子供の健全な成長と発達を保障するという観点に立脚した、親の学び・親育ちを支援する施策が必要とされている。それは、経済の物差しから幸福の物差しへの転換でもある。
このような時代背景にあって、本県の未来を託す子供たちの健やかな成長のために、私たち親自身の成長を期して、本条例を定めるものである。

第1章 (総則)

(目的)
第1条
1項 親およびこれから親になる人への「学習の機会及び情報の提供等」の必要な施策を定めること
2項 保育、家庭教育の観点から、発達障害、虐待等の予防・防止に向けた施策を定めること
3項 前2項の目的を達成するため、家庭教育支援推進計画を定めること

(基本理念)
第2条
家庭教育の支援は、次に掲げる条項を基本理念として、推進されなければならない。
(1) 親は子の教育について第一義的責任を有すること
(2) 親と子がともに育つこと
(3) 発達段階に応じたかかわり方についての科学的知見を共有し、子供の発達を保障すること

(社会総がかりの取組)
第3条
前2条の目的および基本理念にもとづき、家庭教育の支援は、官民の区別なく、家庭、保育所、学校、企業、地域社会、行政が連携して、社会総がかりで取り組まれなければならない

第2章 (保護者への支援)

(保護者への支援の緊急性)
第4条
現に子育て中であるか、またはまもなく親になる人への支援は、緊急を要するため、以下に掲げる施策が、遅滞なく開始されなくてはならない

(母子手帳)
第5条
母子手帳交付時からの親の学びの手引き書の配付など啓発活動の実施、ならびに継続的学習機会の提供および学習記録の母子手帳への記載措置の実施 

(乳幼児検診時)
第6条
3ヶ月、6ヶ月、1歳半、3歳児検診時等での講習の実施ならびに母子手帳への学習記録の記載措置の実施

(保育園、幼稚園等での学習の場の提供)
第7条
すべての保育園、幼稚園等で、年間に1度以上、保護者会等での「親の学び」カリキュラムの導入

(一日保育士、幼稚園教諭体験)
第8条
すべての保育園、幼稚園で、保護者を対象とした一日保育士体験、一日幼稚園教諭体験の実施の義務化

(学習の場への支援)
第9条
保育園、幼稚園、児童館、民間事業所等での「親の学び」等の開催支援

第3章 (親になるための学びの支援)

(親になるための学びの支援の基本)
第10条
これまで「親になるための学び」はほとんど顧みられることがなく、親になる自覚のないまま親になる場合も多く、様々な問題を惹起していることに鑑み、これから親になる人に対して次に掲げる事項を基本として、学びの機会を提供しなければならない。
(1) いのちのつながり
(2) 親になることの喜びと責任
(3) 子供の発達過程における家族と家庭の重要性

(学校等での学習機会の導入)
第11条
小学校から大学まで、発達段階に応じた学習機会を導入する

(学校用家庭科副読本および道徳副読本への導入)
第12条
小学校から高等学校まで、発達段階に応じて、次に掲げる事項を基本とした家庭科副読本および道徳副読本を作成し活用する
(1) 家族、家庭、愛着形成の重要性
(2) 父性的関わり、母性的関わりの重要性
(3) 結婚、子育ての意義

(家庭用道徳副読本の導入)
第13条
前12条の内容に準じて、保護者対象の家庭用道徳副読本を作成し、高校生以下の子供のいる全ての家庭に配付する

(乳幼児との触れ合い体験学習の推進)
第14条
中学生から大学生までに対して、保育園、幼稚園で乳幼児の生活に触れる体験学習を義務化する

第4章 (発達障害、虐待等の予防・防止)

(発達障害、虐待等の予防・防止の基本)
第15条
乳幼児期の愛着形成の不足が軽度発達障害またはそれに似た症状を誘発する大きな要因であると指摘され、また、それが虐待、非行、不登校、引きこもり等に深く関与していることに鑑み、その予防・防止をはかる

(保護者、保育関係者等への情報提供、啓発)
第16条
予防、早期発見、早期支援の重要性について、保護者、保育関係者およびこれから親になる人にあらゆる機会を通じて情報提供し、啓発する

(発達障害課の創設)
第17条
1項 発達障害の予防、改善のための施策は、保育・教育・福祉・医療等の部局間の垣根を廃して推進されなければならない
2項 前1項の目的達成のために、「発達障害課」を創設し、各部局が連携した「発達支援プロジェクト」を立ち上げる

(伝統的子育ての推進)
第18条
わが国の伝統的子育てによって発達障害は予防、防止できるものであり、こうした子育ての知恵を学習する機会を親およびこれから親になる人に提供する

(学際的プロジェクトの推進)
第19条
保育・教育・福祉・医療等にわたる、発達障害を予防、防止する学際的研究を支援するとともに、各現場での実践的な取り組みを支援し、また、その結果を公表することによって、いっそう有効な予防、防止策の確立を期す

第5章 (親の学び・親育ち支援体制の整備)

(民間の、親の学び・親育ち支援ネットワークの構築推進)
第20条
親としての学び、親になるための学びの推進には社会総がかりの取り組みが必要なため、民間の、親の学び・親育ち支援ネットワークの構築を支援し、推進する

(民間有資格者の育成に対する支援)
第21条
親としての学び、親になるための学びを支援、指導する「親学アドバイザー」など、民間有資格者等の育成を支援する

(「親守詩」実行委員会の設立による意識啓発)
第22条
親と子がともに育つ実践の場として、また、家族の絆を深める場として、親守詩実行委員会を設立して発表会等の催しの開催を支援し、意識啓発をおこなう

(家庭教育推進本部の設置と推進計画等の策定)
第23条
1項 首長直轄の部局として「家庭教育推進本部」を設置し、親としての学び、親になるための学び、発達障害の予防、防止に関する「家庭教育推進計画」を策定する
2項 「家庭教育推進計画」の実施、進捗状況については検証と公表をおこなう

橋下徹 ‏ @t_ishin
発達障がいの主因を親の愛情欠如と位置付け愛情さえ注げば発達障がいを防ぐことができるというのは科学的ではないと思うという僕の考えを市議団長に伝えました。これからこの条例案について市議団内での議論が始まります。是非大阪維新の会市議団に様々なご意見をお寄せ下さい。

維新の会市議団長に確認をしました。家庭教育支援条例は議員提案の条例案であり発案議員グループが作成し、これから市議団政調会にかけるという段階です。この段階で報道されたようです。これから政調会で議論が始まり様々な方の意見を聴取するようです。

ただこれは必要十分条件の話ですが、愛情欠如になれば、子どもに多くの悪影響があるのは確かでしょう。しかしだからと言って、子どもに何か問題があるからと言ってその原因は親の愛情欠如だと言い切ることにはならない。ゆえに発達障がいの主因を親の愛情欠如と据えるのは科学的ではないでしょう。

市議会での議論後市長として最後は政治決着を図りますが、議論前に僕が市議団の決定をすることは首長と議会の関係上やってはならないことです。そして議員提案条例は議会内議論で決まってしまいます。ただ親の愛情欠如と発達障がいとをイコールにしてしまう考えには賛同できませんので議会に伝えます

市政における市議団維新の会の方針について僕には決定権はありません。ここまで僕が決定権を持つとそれこそ完全な独裁になってしまいます。僕は府議・大阪市議・堺市議をまとめた全体の方針決定をします。

ですから僕が知事時代も大阪維新の会府議団にノーを食らったことはいくつもありますし、市長になっても維新の会市議団にノーを食らっていることはたくさんあります。ここは議会と市長できちんとチェックアンドバランスを働かせようと注意しています。

そこで大阪維新の会の運営方針として、大阪府議会・大阪市議会・堺市議会をまとめた大阪全体の方針については僕が代表を務める大阪維新の会の執行部で方針を固めます。しかし各府政、市政においては、知事・府議団・市長・市議団が独立してやっていく集団にしています。

議員提案の条例となると、これは日本の地方自治制度の仕組みなのですが、議員間討論で決めて行くことになります。市長が間に入ることはありません。大阪維新の会は日本初の試みの政治団体です。首長が議員集団のリーダーになる。当初首長の独裁になる、議会のチェックが働かなくなると批判を受けました

客観的な子育て支援は必要です。特に児童虐待の多い大阪においては。ネグレクト一歩手前で子どもが悲惨な状況になっている事案が多いのも事実です。愛情を持って子育てしましょうという呼びかけとしては問題ないのでしょうが、発達障がいの原因とすることには大きな問題があるでしょう。

このご意見は理ありです。僕は市民に義務を課すことは基本的に好きじゃありません。今回の条例は市議団提案です。市政になると同じ維新の会でも市議団と市長という立場になります。市議団に伝えます。 RT @hirokook: 軽度発達障害(etc)が親の愛情不足とか太古の理論出してんじゃね

@hirokook このご意見は理ありです。僕は市民に義務を課すことは基本的に好きじゃありません。今回の条例は市議団提案です。市政になると同じ維新の会でも市議団と市長という立場になります。市議団に伝えます。

以前のブログから
大阪維新の会 発達障害関連の条例案(!?)のご紹介 (12/05/03)

発達障害丁々発止5 『新大阪市長・橋下さんの障害者雇用施策について』(11/11/28)

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    発達障害丁々発止7 『精神科医のエコノミクス』

    精神科医はあまり儲からない”商売”である。医学界でも精神科はアウトサイダー。診療報酬なども優遇されていない。利益を出すには二つの方法があると言われる。

    • 一人5分で診察する。(※書類を書く時間などもあるので診察時間は実質数分の場合もある)
    • 薬を大量に出す

    細かく書いていくと、クリニックの経営は以下のような式で成り立つ。

    • 売上 - コスト = 利益  つまり、、、
    • 平均単価×診療人数 - コスト = 利益   つまり、、、
    • (薬代+診療代)×診療人数 - コスト = 利益 

    ここで診療代は発達障害の場合問診が多いので不変と考えるし、実際そうだと思う。コストもほとんどが人件費などの固定費なので不変と考える。なお、今のところ特に都内の心療内科や精神科は来院する人数じたいはほぼいっぱいいっぱい(※つまり客はたくさんいる)ので、いわゆる稼働率は高位安定と考える。

    更に式を分解していくと

    •  (薬代+診療代)×(1時間あたりの診察数 × 営業時間) - コスト = 利益

     というわけで、アンダーバーを引いた、薬代診察数/時 をどのように増やすかが問題になる。

    こういったことを多くの人の前で話すのはタブーなのかもしれない。が、あまりにひどい例(※以前から悪い意味で注目していたIクリニックとYクリニック)を先週聞いたので、受診する側も「精神科医のエコノミクス(経済学)」をしり、自らを守る必要があると思った。

    特に発達障害の人は「医者」という肩書きを信じやすい。また表向き熱心に話を聞いてくれるという医者と接すると、発達障害のうち多くの人は元々苦手である裏を読むことができなくなる。くわえて一度通い始めてしまうと、新しい人や環境への適応が苦手な人も多く不安を感じる人も多いので、既存の医者にロックインされやすくなる。

    基本的には発達障害は脳の構造・機能の違いであり、治るものではない。その発達障害を取り巻く(いわゆる重ね着症候群と言われる発達障害の核を取り巻くように見られる)二次障害の苦しみを、薬などで和らげていくということが、実は発達障害の人に対するクリニックの多くの場合のアプローチだと思う。

    信じ込みやすく現状維持をもとめる発達障害の人たちに接する医者の倫理観は通常よりも高いものが求められると思う。受診する側としては、

    • 回転数が早い医者は気をつける
    • 薬を大量に出す医者は気をつける
    • 怪しいと思ったらセカンドオピニオンを聞く

    ことが必要だと思う。
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      発達障害丁々発止5 『新大阪市長・橋下さんの障害者雇用施策について』

      僕はNHK時代から選挙報道が大好きだった。特に事務所中継は本当に疲れるが、その分とてもエキサイティングだった。報道から離れた今も選挙は大注目。

      今唯一の趣味がアメリカ大統領選挙のフォローなのだが(※共和党候補の争いは、民主党オバマに対抗できる候補として、ロムニーとギングリッチ、ペリー、ケインあたりで日に日に情勢が変わりおもしろい)、昨日の大阪W選挙もテレビが無いのでネット(Ustream)で見届けた。

      僕自身大阪には縁もゆかりもないので、今回の分析の元となる情報の大部分は伝聞の情報だったり、Wikipedia経由なので少し客観的ではないかも知れない。が、橋下さんは知事時代に、ハートフル条例という障害者雇用促進条例を制定させているので、実はこの障害者雇用という小さな「業界」では知られた政治家である。

      その橋下さんの発言を今回の選挙を機会にネット記事で読んでいくうち、少し疑問に感じる所があった。もちろんそんなことへの反論は橋下さんは色々な所で話していたり書いたりしているかも知れない。なので、知っている方に教えてもらいたくて、このブログを書いている。

      以下橋下さんの<A>ニートに対する考え方と<B>障害者雇用についての考え方である。

      <A>テレビ番組の中なので政治的な意味合いを持たないと思うが、かつて橋下さんはニート対策については「拘留の上、労役を課す」と発言している。その他にも「今の世の中は、自己責任がまず原則ですよ。誰も救ってくれない」とか、「競争の土俵に上がれる者に対しては徹底的に競争を促す」としている。当然競争で敗れる人もいるのだが、それについては「生活保護」が最終的な砦としている。

      まあこれはこれでOKである。労役を課すという部分は繰り返しになるがテレビ受けする発言だからなのだろうが、それ以外は多くの人の本音だと思う。

      <B>一方で、障害者雇用については超がつくほどの推進派。ちょっとしたインタビューでも重点課題として話に出てくるほどである。力を入れているのは、競争の土俵に上がれない者に対しては特に手厚い支援を推進する、との理由だとのことである。詳しくはこの条例の本文(※)をご一読いただきたい。障害者雇用率未達成の企業に対するものとしては、至極まっとうな条例で、これが全国に広がってほしいと僕も切に思う。特に『知事は、ハートフル条例の規定により氏名等を公表された事業主に対して、1年(極めて悪質な事由等の場合は2年)を超えない範囲で契約等を制限することができる』ところは重要だ。入札の際に点数が若干落ちるとかではなく、障害者雇用未達成企業は、契約そのものができない可能性があるという方法。数ある障害者雇用の促進案の中でも最も効果が上がりやすい方策だと思う。

      ※要旨・・・府の調達契約や補助金交付の相手方など、府と関係がある雇用率未達成事業主には「雇入れ計画」を提出させ、一定期間内に計画的に達成するよう誘導や支援を行い、改善が見られない場合には、「事業主名の公表」などの雇用率達成に向けたルールを設ける。

      とまあ、<A>も<B>もいいのではないか、論理的だ、という話になりそうなのだが、実は発達障害という視点を入れるとそうも言えないのである。

      実はニートの少なくとも4分の1は発達障害の疑いがあるというデータが5年ほど前に厚労省から出されている。他にも色々データはあるのだが、つまり、好きで仕事ができないわけではなく、実は先天的な理由に本人も周囲も気づかずただただ苦しんでいるニートの人たちも結構いるわけである。

      しかも発達障害の特性として客観視が弱いケースが多いので、自分がどれだけ苦しんでいるのか分からず、「障害者手帳」の申請や「障害者雇用」なんて、自分にはとても関係ないと思っているケースが多い。もちろん有名高校や有名大学を出ている人も非常に多いので、「普通だ」と本人も周囲も思うケースが多いからなのだが、そのこだわりが、より一層の苦しみを生んでいるケースを何件も見てきた。

      案外うっすらとした程度の発達障害の特徴しか無い人が、「制度を活用させてもらって就職する」という理由で障害者手帳をとったり、障害者雇用で就労を果たすケースも見られる。なので、手帳をとっているから障害の程度が重い、手帳がないから程度が軽い、と一概に言えないのが発達障害なのである。

      僕も資本主義の権化であるビジネススクールを出た身なので、「自己責任」とか「競争原理」というのはやはり効率的、効果的な結果をもたらす事が多く、納得している。でも<A>と<B>の間にいる人達で、本人の努力にもかかわらず、競争からいつの間に取り残されてしまっている層もいる。それが発達障害という先天的な、そして実は遺伝的な問題があるということを橋下さんは考慮に入れているのだろうか?と思うわけである。

      知っていたらその対策を聞いてみたいと思うし、まだあまり知らないとしたら対策をぜひ練って頂きたいと思う。「対案はあるのか!!」と言われそうだが、うーん、それがじつは難しい。。。早期発見の徹底、(国にはないが地方としては試みとしてありかも知れない)発達障害手帳の導入、そしてイチゼロで障害者と健常者をわけがちな今の法体系ではなく段階的にその人の機能の制約によって福祉的な恩恵を受けられるような虹色のサポート体制、が必要かなと思う。

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      発達障害丁々発止4 『発達障害に気づかない医師・臨床心理士・精神保健福祉士たち』

      (冒頭にお断り。医師や臨床心理士、精神保健福祉士の皆さんに喧嘩をうっているわけではありません。)

      発達障害は医療・福祉の分野では「新しい」。

      ある精神科医によると「今40才以上の医者は発達障害について当時は、学生時代に学ぶ機会が少なかったので、それ以降に自分で勉強していないと診断できないのでは」といっていた。事実、発達障害を診断できる医師は今でも少ない。発達障害に詳しい医師のところはいつも予約で満員。初診まで数ヶ月待ちはざらで、半年待ちもあるという。

      (※ただし、「繁盛」しているわけではない。先天的なものであり、基本的に薬で治るものではないので、薬をつけると医療報酬がつきやすく、医者の経営も安定するというエコノミクスからは、真逆のところにあるのが発達障害であり、医療の世界では語弊がある言葉だと思うが「儲かる」専門では決して無い。なので、予約がいっぱいでも「この医者儲かりやがって、、、」とは思うだけでもバチが当たるかもしれない。発達障害の専門医は半分ボランティアのような思いでされている方がほとんどだと思う)

      外科のようなクリアカットではない
      曖昧な領域を扱う心療内科や精神科
      発達障害専門は儲からないという二重苦でもある

      また臨床心理士は「心の専門家」ではあるが、ある臨床心理士によると「発達障害に取り組んでいる臨床心理士はほとんど知っている」ほどのまだ狭いコミュニティである。実際、Kaienに見学に来る方の中でも臨床心理士の方は多い。人口の1%(※米国の子供の調査、自閉症のみ)程度はいるといわれてはいるが、それでもまだ「出会い」が少ないからだと思う。

      実際、臨床心理士の資格試験の内容を見ても「精神疾患、臨床心理学、心理査定法、心理面接法、心理療法、地域援助法、研究法、調査法、統計学、心理学全般、法律・法令、倫理、姿勢・態度、事例対応などの専門知識が問われる。」(ウィキペディア)とのことで、あまりに幅広く、大学院を出るかで出ないかの24、5歳の場面では専門性を、例えば発達障害の分野に求めるのは酷であろう。

      精神保健福祉士の世界も、ある精神保健福祉士によると「うつや統合失調症への対応が進んでいたが、発達障害はこれから」で、精神保健福祉士の団体も発達障害の対応に向けて取り組んでいるところだということである。

      言いたいのは、当たり前のことで、資格を持っていればわかるわけではなく、専門性がないと対応が難しいということである。とかく自閉症スペクトラムの方は見える情報にとらわれやすく、資格があると信じすぎてしまう傾向が正直あると思うので、老婆心ながら注意していただきたいなぁと思う。

      と、ここまでは割合スムーズに書けるのだが、ここからは苦しんでいる方も多いので筆が進みにくい。誤診の話である。

      発達障害の、しかも成人が、診断されるケースはごくごく最近になって「一般的」になってきている。先天的なので、これまでも全人口比で見ると同じ確率で診断されていていいはずである。今までは発達障害の人はどこにいたのか?

      ひとつは、今と同じような苦しみ・ズレを抱えている人が居ながらも、社会全体が受け入れる余裕があったため顕在化しなかったケース。もう一つは、他の精神疾患と診断されてしまっていたケースだと僕は考えている。

      よく言われるケースは、統合失調症、人格障害、そしてうつ。実際に両者、つまり発達障害とそれらの精神疾患が重なるケースは少なくないので、誤診とも言い切れない。ただ、医者の中でも「発達障害と診断されるべきなのに、統合失調症と明らかに誤診されている」と憤る方もいらっしゃるぐらいの状況なので、明らかにミスというのもあると思う。明らかになっているのは氷山の一角なのかもしれない。

      統合失調症のメカニズムはあまりわかっていないが(※以前こちらに書いた)、平均発症年齢は男性で18才ぐらい、女性は25才ぐらい(※メルクマニュアルより)。遺伝的な関係も言われているが、実際に症状が出るのはおとなになってからである。遺伝的であり、かつ3歳児には傾向が明確になる自閉症スペクトラムなど発達障害とは大きく異なるところである。

      また、治療には服薬が行われる事が多いのも統合失調症の特徴。同じくメルクマニュアルのウェブサイトによると「米国では、統合失調症は能力障害に対する社会保障給付日数の約5分の1、医療費全体の2.5%を占めています。統合失調症はアルツハイマー病や多発性硬化症より多くみられる病気です。」とのこと。発達障害と診断されるべき人が、統合失調症の薬を処方されていたとしたら??これはかなり大きな問題で、そういった患者グループもできている。

      ある方によると統合失調症の数割程度は誤診されているのではないか、ということだった。今の段階ではその説を確認する手段はないかもしれないが、少なくとも一人ひとりにとっては大きな問題。精神科医は悪意で見逃したわけではないと思われるし、そもそも血液検査などでも測れない疾病を診断し、治療するというのがとても難しいので、できるのは診断を受ける側が医者だということですべてを信用するのではなく、きちんと相対してサービスを受けるべきだとは思う。(※こういうと医者を執拗に責めて人もいてバランスが難しいのだが。。。)

      診断名は何?

      ちょっと長くなりすぎたのでそろそろラップアップするが、うつも誤診が多い領域の気がする。そもそもうつと職場には伝えたほうが通りが良いので、発達障害ではなくうつと伝えているというケースも、実はかなりあると思うし、実際にKaienでも10とは言わないが複数そういったケースを聞いている。

      僕はこの会社を設立して以降、発達障害の人に合わない日のほうが少ない、というよりも殆ど無いのだが、このエントリーを書いていて、一般の人に発達障害を説明するのが難しいんだなぁというのを再認識している。そもそも資格を持っている人でも気づきにくいのだから。。。

      (※なお、ほとんどの方はお気づきだと思いますが、本エントリーの題名は『発達障害に気づかない大人たち』にヒントを得ています。)

      追記: とはいえ、最近は逆の現象も起こっている。発達障害の成人外来があることで知られる昭和大学付属烏山病院。院長の加藤先生は、最近発達障害とおもって来る人が多くなったけれども、思い違いの人が多くって困るのですよ、と話されていた。まあ、これも気づきにくいというか、定義しにくい発達障害の特徴なのかもしれない。

      発達障害丁々発止3 『私のせい?あなたのせい?』

      発達障害(※)の人が職場で悩む一番の問題は、やはり対人関係。指示の取り違いによる上司・同僚とのトラブル、臨機応変な対応ができないことによる周囲のフラストレーション、自分の表情が硬かったり相手の表情を読みにくかったりによる「心」の会話の不十分さ、などなど。コミュニケーション不全ではないが、微妙にすれ違っているケースが多い。求職中の場合でも基本的には同じで面接やインターンシップの時にそのズレを面接官に感づかれて落とされてしまうことが多い。

      とはいえ、Kaienの修了生など活躍しているケースもある。活躍しているというのは現場で戦力になっているということ。障害者雇用であれ何であれ、売上を上げるかコストを下げるか、どちらかに寄与しているという訳である。

      活躍できているケースと、パフォーマンスが上がらないケース。一体何が違うのか?結論から書くと、本人の問題だけでなく、周囲の管理レベルに問題があることが多いと思っている。

      対人関係やコミュニケーションは一人ではできるものではない。かならず人が複数いて成立するものである。キャッチボールで例えてみると、、、大暴投されたらそれは投げた方の責任。胸の前に投げてあげて取れなかったらそれは論外。受け手の責任。でも、腕を伸ばせば取れたんじゃない?胸の前にそもそも投げている?という疑問は常に生じる。エラーは記録上どちらかに必ずつくけれども、イチゼロの責任分担ではなく、多くはグレーである。

      とりやすいボール?
      by strollers

      実際Kaienの修了生などが活躍しているケースは、本人もさすがだなぁと思うけれども、受け入れ側のレベルもやっぱりすごいなぁと思うことがほとんど。もうちょっと言うと、出来る人たちに囲まれると能力を発揮できる発達障害の人が多いわけである。優秀な管理者に恵まれると『1+1>2』になる感じだ。

      そういえば、Kaienを設立するきっかけとなったSpecialisterne(デンマークのアスペルガー症候群の人ばかりを雇用するIT企業)でも、発達障害の従業員と一緒働くと管理した側のレベルが上がるといっていた。マネージャーとして何をすべきかがとても明確になり、発達障害でない人と働く際にも有効だとのことだった。

      僕の好きな宋文洲さんの言葉に「管理職の仕事を人を管理すると勘違いしている人がいる。本来は業務を管理すること」というのがある。人を管理しようとすると、表情を読んだり気分に合わせて指示を出そうとする。一方で、業務を管理しようとすると、どうしても構造化して伝えることになるし、視覚化して伝えることになるし、定量化して伝えることになる。福祉の世界で自閉症スペクトラムの子供に接する基本原則を、実はビジネス界の出来る人は普通にしている感じなのである。

      こういうと言い過ぎかもしれないが、つまるところ、発達障害の人の管理法をまとめた本をつくろうとすると、MBAとかのリーダーシップ論の本と、表紙は違うけれども中身はほとんど一緒、になるのではないかとつねづね思っている。別に特別なことをする必要はない。同じ人間だし、発達障害の人に心地良いものは多くの人にとっても心地よいもの。ユニバーサルデザインの管理法ともいうべきか。

      もちろん発達障害特有の難しさはあり、この夏からKaienでは富山大学の先生方と『知的に遅れのない自閉症スペクトラム障害のある方への効果的なマネジメント(経営管理)の在り方』を研究し始めたところ。もとい、研究に協力させていただいているところである。上手な管理のあり方をいろんな人と模索していきたい。

      ※特に大人になってから生きづらさを感じる人はADHDよりもアスペルガー症候群など自閉症スペクトラム系の人が多い Kaienの経験だと8~9割はアスペルガー症候群などの診断であり、ADHDが優位にみられる人は少数派。ただし重なっているケースが多いし、そもそも診断名ではなく個々の状況に対する対応が求められる。

      発達障害丁々発止2 『ハガネの女2について』

      まずはこちらのニュース『「ハガネの女」ドラマでトラブル 漫画家が異論唱え原作者降りる』(JCast News)を読んで欲しい。

      議論になっているのはテレビ朝日のドラマ『ハガネの女2』。僕はうさぎ小屋のような自室のためテレビが無いので、本ドラマを見たことがない、というよりも最近テレビ自体を見たことがない。が、人に聞いたところ、人気ドラマだとのこと。(※テレビ業界出身者として、テレビという既存ビジネスモデルが崩壊しつつある中で、いまだテレビが存在し、人気を博すものがあるだけで喜ばしいことではあるのだが。。。)

      さて、記事によると、『発達障害の1つとされるアスペルガー症候群の男児が転校してきたとの設定で始まる。男児は学校でトラブルを起こし、保護者らからのクレームで、男児を特別支援学級のある学校に移すべきか学校がクラス投票を行うというストーリーだ。ハガネは、投票に反対したが、クラスメートが男児を理解し、受け入れてほしいと最終的に投票を受け入れる。ところが、放送後、ネット上では、発達障害児がクラスに残るか学校が投票で決めるという内容への批判や不満が相次いだ。』とのこと。

      また『(「ハガネの女」の原作者の)深谷さんは掲示板上で、2月に脚本を読んで驚き、多数決のシーンには反対したが、その意見はテレ朝側に採用されなかったと告白。そして、6月23日になって、サイトのトップページすべてを使い、2話の描写に同意しないとして、16日放送の最終話で原作者の立場を降り、クレジットを削除してもらったことを明らかにした。ドラマのビデオ化やネット配信にも反対を表明している。』とのことである。

      改めて言うと、僕はテレビを持っていないので、このドラマは一秒も見たことがない。でも、色々と議論になっているようであるし、疑問に感じるところがあるので、ブログに取り上げた。

      疑問の一つ目は、、、深谷さんはご自身のウェブサイトで、『しょうがいの有無に関わらず、児童の処遇を児童に決めさせることに同意できないからです。』と言っているのだが、どうも諸々の記事や、インターネット上の書き込みを見ていると、アスペルガー症候群の描写が正しいか正しくないか、で白熱している人たちが多いよう。これはそもそも論点がズレている気がしているので整理したほうが良いのではないかと思った点。

      二つ目は、、、先ほど引用したネット上の記事もしかり、その他の記事もしかり、「テレ朝のドラマはアスペルガー症候群を理解していないのでは??」、「正確なアスペルガー症候群を描いていない」みたいなトーンで取り上げている記者の皆さんが、そもそもあまり発達障害を理解されていない様子である点。例えば、スポニチさんは、『発達障害の一つとされるアスペルガー症候群を患いトラブルを起こした男児がクラスに残るかどうかクラス投票で決めるシーン』とのことだが、アスペルガー症候群は先天的なので、患うという表現自体が、誤解を生んでいるのだが、、、と思う。

      僕のスタンスとしては、アスペルガー症候群をゴールデンタイムに取り上げてもらった時点でとても良いことだと思う。こういったいわゆる「障害者」の問題を取り上げることは、テレビ局にとってもリスクがある(※どうしても批判の対象になりやすい)。それを承知の上で、アスペルガー症候群という社会現象をドラマに入れたいというドラマ制作者の心意気を(少し買いかぶり過ぎかもしれないが)感じる。いつもいつも福祉番組だけで取り上げられていては、本当に興味のある人しか見ないし、広がらない。今回の放送を見て、初めてアスペルガー症候群について知り、関心を持ったというブログを書いていた人もいたが、そういった人は一人ではないであろう。

      もちろん、消火器を炎の中に放り込む、というありえないシーンが有ったり、それがアスペルガー症候群のせいだと視聴者も思わざるをえない構成であったらしいのは残念で、次回はぜひもうちょっと誤解を生まないストーリーにして欲しい。そもそも診断されてしまうと、奇異な行動はすべて障害のせいにされてしまう。人間誰しも不可解な行動を起こすのにもかかわらずである。正常な行動ばかりの人は、それこそドラマの中にしか存在しないであろう。(※我田引水だが、以前もブログでこんなことを書いてみた。『どこまでを障害のせいにするか』

      「アスペルガー症候群の正しい描写」こそ不可能に近いものである。そもそも人間十人十色だし、そこに発達障害というスパイスがかかっている程度。アスペルガー症候群について説明してすべての人を満足させるようなものは難しい。アスペルガー症候群の人の生きづらさは根っこはやはり同じだと思うのだが、実生活での出方はそれぞれ。しかもその出方もアスペルガー症候群だけで説明できるものは少なく、その他の環境要因が絡んでいる場合がほとんど。

      深谷さんのお怒りの原因・本質は「アスペルガー症候群の正確性」とは違うところにあると思われ、それはそれで解決をしてほしいなぁと思うが、アスペルガー症候群の描写云々で、マスコミの人たちを萎縮させてほしくない。彼等は影響力もあるが、怖がりでもある。若干の間違いは後できちんと指摘し改善を促しながらも、取り上げてくれたことに感謝していることを伝えて、どんどん良い作品を送り出して欲しいものだ。例えば米国のParenthoodという人気ドラマもアスペルガー症候群が中心話題の一つだが、これは好評を得ている。(海外メディア 「米国の人気ドラマParenthoodに出てくるアスペルガー症候群」

      清濁併せ呑む。この「ハガネの女2」の問題に限らず、今の時代に結構必要な要素だと思うのだが、ちょいと今の世界は寛容さに欠けているようである。

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      発達障害丁々発止1 『片付けられないアスペルガー!?』

      これまで雑然と書いてきた、自閉症スペクトラムを中心とする発達障害に関する私見。これからは「発達障害丁々発止(ちょうちょうはっし)」というシリーズで書いていこうと思う。

      というのも、、、(1)あまりに偏った情報や事実から遠い情報が巷に溢れているので、なるべくニュートラルな立場から情報発信したいという思いと、(2)自分も何を以前どこに書いたのかわからなくなるほどブログには記述したものの整理されていない情報があるので同じタイトルで通したいと思ったからである。

      特に(1)について、タブー視されて「触れられていない」発達障害の話や、なぜか定説となってしまっている一般的な発達障害の理解に物申すという意味で、丁々発止と名付けた。あんまりしっくり言っていないので後で変えるかもしれないけれども。。。

      +++

      何回続くか分からないが第1回、ADHDとアスペルガーについて。。。今回のメッセージは「片付けられない人、特に女性はADHD」というのは誤解のケースがあるということである。もっというと、アスペルガー症候群でも片付けられないことは十分に説明ができるということである。

      片付けられない=>ADHDというのは、『片づけられない女たち』という全米ベストセラーによって確立しているようだ。(※なお本ではADDと表記されている。ADHDとADDの違いは僕の理解だと行動面まで影響がでないパターンがADDで出ているパターンがADHD。つまりADDは脳の中で発想が湧き上がりすぎて注意が散漫になってしまうだけで、行動が落ち着かず同じ動作を保持しにくい、という面が見えにくいケースと理解している) 

      Amazon.co.jpより

      たしかにADHDの人は注意力が散漫というのが特質の一つ。片付けの場面では、一つ一つの物に思いを馳せてしまい、ついつい手が止まってしまう。それがあまりにも頻繁に起こるものだから、なかなか本来の目的である片付けが出来ない、というわけである。たしかにそういうケースはよく聞くし、一緒に誰かに手伝ってもらうという解決方法が取れない場合は、片付けは非常に大変な作業になるのだという。

      一方で、アスペルガー症候群の人も、タスクの分解が苦手、分解ができても優先順位をつけるのが苦手、同時平行の思考が必要な作業(※手前のものを一旦テーブルの脇に置いて、奥にあるものを捨てると、テーブルのスペースがアクから、、、などといった思考)が苦手、であることから、片付けが苦手である、という説明もできる。

      アスペルガー症候群の人は字義通りに受け止める傾向がどうしてもあるので、一旦自分がADHDと信じてしまうと、アスペルガー症候群という診断を上手に受け止めることができなくなってしまうケースがある。これまでKaienにいらした相談者にも複数そういうケースがあった。片付けができないからADHDというのはちょっと単純すぎるので、本当に気になるケースはやはり専門医に聞いたほうが良い。

      なお、「診断好き」なアメリカでは、Compulsive Hoardingという片付けられない症候群というのも診断名に入れようという動きもあって、症候群・診断で理解しようとすると際限がない。。。このCompulsive Hoarding Syndrome はOCD(強迫性障害、つまり買わないといけないと思ってしまう)とADHDが組み合わされている例が多いとWikipediaの英語版では説明している。

      発達障害の場合は、白黒つく診断ではないので、本やウェブサイトを鵜呑みにしないことだけは心がけたほうが良いと思う。それとすべての行動を発達障害にひもづけるのが危険。診断名にとらわれず、自分を受け入れることが何よりも重要かと思う。

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