Kaien創業記 第4回飛ばないビジネス
第3回ではMBAの授業やビジネスプラン・コンペティションの参加を通じて感じた米国の起業文化について触れました。シリーズ第4回は起業直後のドタバタを取り上げます。
留学先のビジネススクールで発達障害の力を活かしたビジネスモデルを研究。なんと米国有数のビジネスプラン・コンペティションでも優勝しました。留学先のビジネススクール総長の後押しもあり、日本帰国直後に発達障害の人の強みを活かす企業Kaienを起業したところまでは良かったのですが、IT経験もビジネス経験も経営経験もゼロの私は早速壁にぶつかってしまいます。
会社を起こしてからの数ヶ月。実はやるべきことがわかりませんでした。ワクワクして始めた会社ですが、10月にはひとりオフィスで途方にくれていました。
ソフトウェアテストを行う会社を立てるという目標はある。従業員は発達障害者を予定。米国のビジネスプラン・コンペティションで勝った、耳目を集めるプランではありました。
実際に当社のウェブサイトを見て連絡をしてくれる人もかなりいました。ソフトウェア関係者、大学教授、心理士、発達障害の成人当事者、発達障害の子どものいる親御さんたち、ベンチャーキャピタリストまで数社訪れました。しかし、「本当に稼げるの?」、「本当に仕事を任せられるの?」と思われていました。また、目標に向けてどんな行動をとればよいのか、恥ずかしながらわかりませんでした。営業はどうすればよいのか?人はどう集めればよいのか?ビジネスプランを書いていたはずですが、やはり紙切れです。実際に動くための鳥瞰図にはなりましたが、実際に今日明日、なにをするかを考えるには抽象的すぎました。
運のよいことに初めの顧客は取れてしまいました。ただし、ソフトウェアテストの仕事を受託したのではありません。障害者枠で発達障害の人を雇用したいというIT会社があり、助成金を申請してそれが受託できたらコンサルティングをして欲しいというものでした。実はケロッグ卒業生の先輩から教えてもらった企業でした。障害者枠でソフトウェアの仕事をさせるという新しい試みを考えているから一緒にできるかも知れないという情報でした。無事に助成金が取れ、10月から発達障害者を雇う職種や環境配慮を考える仕事を与えられました。6ヶ月の契約でした。
私には、いくらでもそのプロジェクトに費やす時間もありましたし、できるだけの結果を残そうとしましたが、その仕事自体はなかなか上手く実績が残せませんでした。なによりも顧客企業が求めるITレベルに達する発達障害の人が探せませんでした。加えて探せたとしてもその人にどういう仕事を任せるべきか、顧客企業の業務からなにを切り出せるのかを考えるのが難しいのです。よい人が見つかっても上手に業務を割り当てられない。業務を見つけても人が見つからない、その連続でした。
6ヶ月でケロッグからの生活費のサポートも枯渇しますし、初顧客からも6ヶ月限定のプロジェクトです。半年後、2010年4月にはまったく収入のあてがなくなります。なにかビジネスをしないといけません。スタッフも集めないといけない。営業もしないといけない。資本金もはじめは10万円です。唯一の顧客から若干の売上が上がりましたが、毎月賃料を払って自分が朝昼晩食べるだけでほとんどなくなります。資本金も分厚くしないといけないし、借入金もしないと、とてもビジネスとして始められません。手探りの状態で秋から冬へと時間ばかりがたっていきました。
当然まず頼ったのはチュルさんほか創業メンバーです。週に1回はミーティングを開きました。他のメンバーのほとんどは海外にいます。例えばチュルさんはなんとアフリカのケニアやコンゴにいました。スカイプでの会話でしたが、回線が悪く途切れ途切れ。Kaienの現状を象徴しているかのようでした。妙案はなかなか出ませんでした。
営業は今も苦手ですが、当時は最悪でした。電話もしましたし、専門家にアドバイスも受けましたし、自分の知り合いをつかって話をつないでもらおうと頑張りました。しかし素人が考えている絵空事と思われ、いっさいアポイントメントが取れませんでした。ソフトウェアテストの業務を元アナウンサーが受注できるわけはない。営業しようにもしっかりとした実績・技術がなかったので当然です。発達障害の人を雇ってソフトウェアテストをするというKaienのプランががたがたと崩れていく気がしました。
数ヶ月まったくお客が取れないのはやはりビジネス自体が間違っていたのだ。そう思わざるを得ません。そこで米国で書いてきたプランのほとんどを捨て去り、大きくビジネスの舵を切りました。ソフトウェアテストの受託業者になることを諦めて、発達障害者向けに職業訓練を行う業者になろうと決めました。障害者向けの職業訓練は都道府県などがNPOなどに委託して助成金を出していたのです。まずは訓練をして、その中でITやソフトウェアテストのプログラムを入れていこうと思いました。
加えて、職業訓練の修了生たちを障害者枠で企業に紹介する人材紹介を行おうと思いました。というのも、日本には障害者雇用促進法があり、企業は障害者手帳を持つ人を全従業員の1.8%以上(2012年当時、2024年の現在は2.5%)雇わないといけないというルールがあるのです。未達成企業には雇用調整納付金と言う罰金のような制度もあります。
働ける障害者を探すのは企業人事にとってはなかなか骨の折れる作業のようです。コンプライアンスを達成するために企業人事は、無料で求人できるハローワークだけでなく、有料の民間人材紹介会社を頼っているということを、この頃までに私も理解し始めていました。発達障害の人材紹介業者はないものの、障害者枠一般で見ると身体障害者を紹介して、数億円の売上を上げている業者はいくつかあったのです。発達障害専門がどの程度企業にアピールできるか全くわかりませんでしたが、ソフトウェアテストの受託業者よりも可能性がありそうでした。
ただし、当初、私の中では、障害者枠での職業訓練や人材紹介には抵抗が非常にありました。「発達障害は障害ではない。特性だ。だから一般枠で働けるんだ」というこだわりです。ただ当事者に聞いていくと、働ければ別に障害者枠でもよいという人が案外多いことがわかりました。また先輩経営者からは「会社を立ち上げた以上スリッパを売っても潰しちゃいけない」と目の覚めるようなアドバイスも貰いました。自分がカッコつけて発達障害の定義を決めて会社も潰し、就職したい人の支援もできないのでは、会社を起こした意味がまったくないのではないか。自分自身を説得して、KaienをIT企業から人材サービス企業へ転換させました。
そしてこの頃、創業メンバーの他に実務を担当するスタッフが2人加わりました。Kaienに興味を持ってくれた臨床心理士と、ソフトウェアの開発経験のあるエンジニアです。この二人に人材紹介と職業訓練を手伝って貰う形にしました。臨床心理士はパートタイムで、エンジニアも初めはパートタイムで1月からはフルタイムです。すでにお話ししたとおり、Kaienは世間的にはまったく知られていませんでしたが、ウェブサイトを見るなどして、発達障害に詳しい人の中では知っている人がポツポツ出てきていました。そういった人たちのお陰でなんとか2人と巡り会うことができたのです。秋が深まる頃、私を含め3人の実働部隊が整いました。
いわゆるピボット(ベンチャー企業が事業内容を変更する)をしたKaien…。荒波は更にいくつも押し寄せます。次回は入社するスタッフが離反を繰り返す地獄のような想い出についてです。