自分の得意な型を知るための障害告知・障害受容障害のある学生の修学支援に関する検討会に出席して
今日は文部科学省「障害のある学生の修学支援に関する検討会」の第5回に出席してきました。合理的配慮という新しい概念が法律に入った今、大学が障害のある学生をどう受け入れていけばよいか方向性を出していく会議です。
僕も委員として出席しています。小休憩を1度挟むだけの3時間ぶっ通しの会議は疲れます。が、会議後のぼーっとした脳内の中でもいくつか記憶に残っている気付きをブログに残しておきます。
合理的配慮は主張しないとしてもらえない!?
まずは訂正から。この検討会については以前本ブログで触れましたが、その時にやや誤解のある表現(↓)があったなと気づきました。
大学における障害者合理的配慮 特に発達障害のある学生の就労支援について
一つ目の権利主張ですが、つまり配慮されるのは権利だ!と主張することが前提とされていて、逆に言うと主張しないと認められにくいということだと思います。
権利主張をしないと合理的配慮がされないというようにも読めますが、「そういうことはない!!」ということが今日の第5回会合で繰り返し強調されていました。”障害学生”が主張しない場合でも”大学”が合理的配慮しなくてよいというわけではないよ、ということです。
もちろんご自身が主張することが基本なのですが、それが絶対の要素ではないということですので、ご安心ください。特に発達障害の学生は自分で困り感や配慮を伝えるのが難しく、保護者の立場からは本人に任せると不安ということがあると思うのですが、その点(だれがどのように主張したり、配慮の必要性を理解してもらうか、の支援の入り口)は常識的に様々なケースが想定されることになりそうです。
個別に対応するだけでOKではない そもそも多くの学生を受け入れる事前の対策が必要
ただもっと重要なこととして、合理的配慮の権利主張を待たずに大学側はベーシックな支援体制を整えないといけないということが今日は印象に残りました。
そもそも合理的配慮というのは個別具体的な配慮なのですが、合理的配慮の考え方が取り入れる=全体として配慮をしなくてよい、というわけではないということです。今日の会議でも、合理的配慮の細部を詰める前に、しっかりと大学がそもそも事前に行う体制づくりがあるよね、という話を複数の委員が繰り返されていました。
僕が個人として感じたのは日本の大学の特殊性です。もちろん各国によって大学の位置づけはそれぞれの意味を持つのでしょう。が、そもそも合理的配慮の基礎となっている障害者権利条約がどうしてもアメリカ発なので、アメリカの大学が条約のベースにあるのだと思います。
日本の大学、アメリカの大学院に通った経験からすると、たしかに二つの違いは肌感覚としてですが結構大きいです。巷に言われている”ステレオタイプ”な印象としても、日本の大学とアメリカの大学は
- 学力試験のみで入れる vs. 学力は一つの評価でその他地域貢献など多面的に入試で見られる
- 多様な(含・障害学生)が通うことが珍しい vs. 障害学生(含・障害学生)が通うことが前提
- 基本的に卒業させてもらえる vs. 卒業する人のほうが少ない
という感じで、同じ条約を基にしても、法律の作り方や、その運用の仕方は異なるのだと思います。そもそもいろんな人が通うことが前提とされるアメリカは合理的配慮の前に出来ている部分がおおいのでしょうね。
権利主張するための教育を小さいころから(≒告知は早めに!!)
学生自体が権利を主張するという素地がほとんどない教育を受けてきている日本の学生と、自分に有利になる事なら積極的に主張するアメリカの教育を受けた学生では、こういう配慮をしてほしい!!と求める力が大きく異なることは検討会でも通奏低音のように流れています。
日本では「障害・特性告知=マイナスなことを伝える」という風潮がまだ強いと思いますが、今後の法体系で上手に社会に適応していくためには「障害・特性告知=凸凹を理解し自分に有利な道を選択しやすくする」という考えがやはり求められるように思います。
自分の強み弱みを理解することは、決して障害の有無・多寡にかかわらず、重要なことです。自分の得意な型にもちこんで自分の実力を発揮しやすくするのは、その組織にとっても社会にとってもよいはずです。例えば、職場では「自分はこういう環境だと上手に働ける価値を高められる」、「こういう人と一緒に働かせてもらえると業績が上がる」と上手に上司や人事と交渉し、実際に結果が残せた方が、会社にとってもご本人にとっても良いと思うのです。
もちろん合理的配慮というのは”周囲と当事者の対話”によってどの程度提供されるか決まるので、すべての主張が大学で認められるわけではないです。また自分勝手ととらえられてしまうほど周囲にしわ寄せが行くのはもちろんダメでしょう。でも、告知と言いますか、自己認知と言いますかを早めにして、自分の勝ちパターンを周囲に作る力、少なくともそれを周囲に求める力を大学生と言わず、小中高生の段階から子どもに持たせたいなと思います。
最後は我田引水で締めますが、当社の放課後等デイサービス TEENSでは夏休み最後に「かたりば・しゃべり場」を開催します。自分の特性を認めることで、小中高生のうちから、告知や障害受容を「自分がより生きやすくなるための積極的な自己理解の方法」にしてもらいたいと思います。