勉強になります…障害者権利条約後の初審査を視聴
ゼロから学ぼう!
「障害者権利条約後の初審査」とは?と思った方。私と一緒です。
障害者権利条約というのを知らない方もいるかもしれません。これは「障害者の権利に関する国際的な基準」のようなもの。日本も批准していますので、わが国でも障害者の権利擁護を国際水準にするための元となる考えなわけです。
そして日本の障害者施策を根本から変えた(はず)の、権利条約批准から8年。その進捗を国連によって審査し、改善事項を初めて!指摘される場がついに(だったようです…)開かれたというわけです。
初めて日本政府に通信簿が渡される瞬間だということですね。
参考:国連の障害者権利委員会が初の対日審査 精神医療などが論点に(福祉新聞)
国連の障害者権利委員会は8月22、23両日、障害者権利条約を批准した日本の取り組みに対する初の審査をスイス・ジュネーブで行った。精神医療や教育をめぐる問題が大きな論点となった。(福祉新聞)
早速自分の無知さを痛感
とはいえ、正直に言うと、私自身、権利条約とその国際的なチェック体制についてはなんとなく聞いたことがある程度でした…。今回のジュネーブでの審査もノーマークで…。終わった後にSNSで騒がれているのをみて、初めて覚知した次第…。お恥ずかしい限りです…。
が、物事に遅すぎることはないということで、俄か勉強をしてみましたし、下記の動画も全部見てみました。
知識ほぼゼロから議論を拝聴しましたので、なかなか大変でしたが…。感想をざっくりまとめたいと思います。(もちろん一回動画を視聴しただけで勘違いや記憶違いがたくさんあると思います。ぜひご指摘いただけますと幸いです…。)
誰でも見られる
国連のウェブサイトでアーカイブ動画がいつでも視聴できます。日本語です。あわせて5~6時間です(1.5倍速と2倍速も出来るので時短も可能です)。
参考:1日目の様子 https://media.un.org/en/asset/k1k/k1k93alkiw
参考:2日目の様子 https://media.un.org/en/asset/k1m/k1mf5n4xhk
そもそも事前情報を知らない私のような方は、下記のDPI日本会議のサイトや動画を見てからのほうが良いかもしれません。
参考:障害者権利条約 初の対日審査(建設的対話)が終了しました。積極的な障害者施策の改善を強く期待します(認定NPO法人 DPI日本会議)
ちなみに今回の審査を経て、今月中には勧告も出るとのことです。
同委員会は9月中旬までに日本に対し、総括所見(勧告)を出す予定だ。勧告に法的な拘束力はないが、各国政府は〝国際基準〟に沿うよう対応を迫られることになる。(福祉新聞)
司法・民法・やまゆり園・精神病院・地域移行・インクルージョン教育
では、鈴木の気づきをまとめます。
個人的には「司法」の話が分厚く質問されていたのに驚きました。たしかに権利条約では何より障害のある人が社会で意思決定(※参照 抜粋下)をしていく体制整備が求められています。逆に言うとトラブルにも巻き込まれる可能性が高まります。その際に司法の場で様々な合理的配慮が得られているのか、世界レベルでは関心事なのを知りました。
同条約は、最も重要な基本原則として「個人の自律(自ら選択する自由を含む。)」の尊重を掲げ(中略)一律に行為能力を制限することを否定し、誰もが自ら意思決定することができるよう、必要な支援を可能な限り尽くすこと(意思決定支援原則)を指導理念とする制度を求めたもの (日弁連サイト)
一方で明治の香りを色濃く残しているのが日本の「民法」です。外国の委員に指摘されていましたが「心神喪失」だとか生々しい単語が残っているわけで、これは差別的に感じる人が多いのも確かです。官僚の回答を聞いていると意味があるのもわかりましたが、他の用語に置き換えられないのかなぁというのは素朴に感じます。
また、6年前のやまゆり園の話が何度も国連の委員から出ました。それだけ衝撃的な出来事だったのだと思います。(やまゆり園は知的障害者向けでしたが)精神病院への「隔離」や地域移行が遅々として進まない日本の現状の象徴だと、各委員が考えているように感じました。
つまりやまゆり園は障害者が暮らす生活の場所であったのですが、権利条約で意識されている地域(つまり一般の人と出来るだけ同じような環境)での生活とはかけ離れているとも見えるのでしょう。もちろんどの国にもいろいろな障害のある方向けの生活の場があると思いますが、地域で暮らせる人は地域で暮らそうというのが権利条約の大きな思想だと理解しています。
実際、日本の「精神病院」での入院期間の長さは、他国に比べて異常に長く、改善もなかなか見られません。また強制入院も多く、病院で一生を終える精神障害者の人数も高止まりで、各委員から何度も質問でつかれていました。他にも精神病院の驚くべき現状は目を覆いたくなるほどで、ブログでも書いたコロナ禍における精神科病院の異常さを見てもわかるところです。
参考)誰もが知るべき日本の恥部 ETV特集「ドキュメント 精神科病院×新型コロナ」を見て
他にもインクルーシブ教育については日本の傍聴団の関心も高かった話題です。が、こちらも日本の回答はびっくり!レベルの肩透かしでした。インクルーシブ教育が叫ばれる中で、かつ少子化の中で、特別支援教育がどんどん勢力を増しているのは、国際的には異常な傾向なのですが、それが何故起きていてどうしたいのかは何も分かりませんでした。(私の聞き間違えかもしれませんが、日本では特別支援学校や支援学級がインクルーシブ教育の概念に入っているとかいないとか…。そんなことはないかもしれませんが…。)
ただし議論を聞いていると特別支援教育かインクルーシブ教育かという話ではなく、その両者をいつでも気軽に行き来できるような柔軟性こそ重要なのでしょうね。どちらも必要なわけですからね。この柔軟性は雇用の現場にも言えるのかもしれません。配慮がより必要な時の働き方と、そうではない働き方を、行き来できるような形が理想ですから。
「法律がある」と主張し続ける日本の代表団
さて、内容はともかく、今回聞いていて非常に違和感があったのが、委員からの質問について、日本側からほとんどと数字での説明がなかったことです。
厚労省は流石に担当官庁なので幾つかデータで示していましたが、他の府省庁は「条約に基づいて○○という法令が制定された。現在、適正に運用されていると考える」というような回答が目立ちました。性善説的に制度があるから大丈夫と主張する日本代表団に対して、(障害のある女性や子どもなどの話も何度も出てきたことで分かる通り)悪意のある人たちから脆弱な人たちをどう守るのかという性悪説も踏まえた上で対策を確認している委員側とは、なんだか思想的な大きな開きを感じました。
またこれも質疑の中で出てきたキーワードのような気がしましたが、「事前」に配慮したからOKだよね、というような考え方から、障害のある本人から申し出を受けた「事後」に配慮を検討し続けようね、という考え方に変わったというのが、権利条約のエポックメイキングなところだと思うのです。(事前のほうがよく聞こえますが一律の配慮しかできないです。一方で事後のやり取りを入れると個別対応が出来ます。) が、日本側の思想はあくまで「事前・一律」の話ばかりに聞こえ、おいおい、と突っ込みたくなるところが多くありました。
とまあ、肩透かしのオンパレードに、日本の官僚は大丈夫なのかなと感じました…。これが高度な外交手段なのだとしたら残念です…。
心のバリアフリーって何よ…
でも日本の国民も官僚も政治家も決して障害者のことを軽く見ているわけではないと思います(あるいはそう信じたい)。そもそも、障害者手帳の取得ベースで換算しても、既に人口の約8%、じきに10%にもなろうとしている一大少数派が障害者なのですから…。
なのにこの数時間のやり取りですら、日本のエリートと欧米の(少なくとも思想の元にあると思われる)委員との考えとの隔たりを感じる。根本的な差はどうして生じるのか??足りない知識ですが、頭をひねって考えてみました。すると、日本の?アジアの?政治や思想の限界みたいなのに行き着く気もします。
例えば、冒頭で日本側の代表スピーチ。「心のバリアフリー」という閣議決定もされた言葉が何度も出ました。この紋所が目に入らぬか的な感じで…。
心のバリアフリーとは「様々な心身の特性や考え方を持つすべての人々が、相互に理解を深めようとコミュニケーションをとり、支え合うこと」であり、私もその考えを否定するつもりはありません。しかし権利条約の深さと比べるとなんと浅いことか…。極端に言うと「優しくしていれば大丈夫」とも聞こえる、標語的な言葉です。これを代表は後生大事になんどもおっしゃっていました…。
障害支援の現場レベルでも「障がい」か「障害」か、ぐらいで議論が止まることも多く、いつも忸怩たる思いをします。日本・アジアでは、おもてなし的な、ニュアンス的なものが障害者の支援には重要だという文化が根っこにあるような気がします。どちらが進んでいる進んでいないというよりも、お国柄なのでしょうかね。少なくとも私は「権利」を定める条約にはそういうふわっとした部分はあまり関係ないと思うのですがね…。
儒教・家父長制・家庭への信仰…
儒教と家族というのも根深いのでしょう。今話題になっている宗教と政治の問題でも、故安倍元総理が旧統一教会系のイベントで”家庭の価値を強調する点を高く評価”と来賓あいさつで述べていましたよね。また親学推進協会が発達障害を親の子育てのせいだというのも似たところにある気がします。政治がかなり家庭を重視しているということです。
儒教の影響なのでしょうか…。日本やアジアでは家庭が社会の中心単位であり、個の尊厳や権利という考えにあまり馴染まないのではないか?どうしても政治家も大衆も官僚も、どこかで家庭というセーフティーネットを信じているのではないか?
もちろん欧米でも家庭は大事ですが、障害のある人など社会から周辺に見られやすい立場の人は、家庭が頼れないケースが多いことを想定しているのだと思います。そこで法令によって担保された地域サービスが個として生きていくことを支えるのがまずベースにある、その上に家庭があるという風に世論が発展してきて、権利条約につながっているのではないかと推測します。
もう少し踏み込むと、日本では「家庭が何とかするでしょう」という世論が強く、いつまでも家族の内部で抱え、どうしようもなくなった時に施設に頼むという、イチゼロになりやすいから、精神病院での入院率や滞在期間の高さになるのかもしれません。数千年続いた伝統はなかなか変わらないのでしょうね…。
勧告後の動きに注目したい
飛躍しちゃいますが、関連としてあげたいのが憲法問題。ここでも、家庭・家族の存在を高めようという機運を一部の?結構の人たちに感じます。
憲法改正というと、国防についての意識が乏しい現憲法を変えたい派と、9条を守りたい護憲派がぶつかっているような気がしますし、それをメディアも大々的に取り上げている気がします。が、実はその裏で、GHQによって作られた「個」の権利を大事にした憲法を、「家庭」を重視した憲法に先祖返りしようとしている魂胆が見え隠れして、私は気持ち悪くって仕方ありません。
自分はどうしても欧米型の教育を受けた、逆に言うときれいに洗脳された人間かもしれないので、もうニュートラルに考えられないのは確かです。その偏った考えかもしれない脳を振り絞ると、憲法にしても障害者の法令整備にしても、生きる上での尊厳を担保するために、一人一人の意思決定とそのためのルール整備が必要な気がしています。
最後に…。冒頭で書いた通り今回の審査を経て、国連から「勧告」が出るとのこと。拘束・分離から、地域でのインクルージョンというのが大きな勧告内容になるようですので、どのように国会が動くのか、ちゃんと見守っていきたい、あるいは声をあげるべきところでは上げないとなと思います。
文責: 鈴木慶太 ㈱Kaien代表取締役
長男の診断を機に発達障害に特化した就労支援企業Kaienを2009年に起業。放課後等デイサービス TEENS、大学生向けの就活サークル ガクプロ、就労移行支援 Kaien の立ち上げを通じて、これまで1,000人以上の発達障害の人たちの就職支援に現場で携わる。日本精神神経学会・日本LD学会等への登壇や『月刊精神科』、『臨床心理学』、『労働の科学』等の専門誌への寄稿多数。文科省の第1・2回障害のある学生の修学支援に関する検討会委員。著書に『親子で理解する発達障害 進学・就労準備のススメ』(河出書房新社)、『発達障害の子のためのハローワーク』(合同出版)、『知ってラクになる! 発達障害の悩みにこたえる本』(大和書房)。東京大学経済学部卒・ノースウェスタン大学ケロッグ経営大学院修了(MBA)。星槎大学共生科学部 特任教授 。 代表メッセージ ・ メディア掲載歴・社長ブログ一覧