ポンコツの私に、生き抜くための型を教えてくれた ~私とKaien 第5話~
『私とKaien』は当社の就労移行支援を利用していた訓練修了生や、ガクプロやTEENSをご利用中のお子様を持つご家族など、Kaienと一緒に発達障害の魅力を世の中に広げていただいている方々へのインタビューシリーズです。第5回は、Kaienの訓練を経てお子さんを抱えての転職に成功、就職して約2年、いまも順調に働いている「お母さん修了生」にお話を伺いました。
ポンコツの私に、生き抜くための型を教えてくれた
産休復帰後に、発達障害の難しさに直面
婦人服の販売員をしていたころは、常連のお客さまからよく「あなた、変わってるわね」と言われていました。「でも、そこがいいのよ」とも。どう変わっているのか? 具体的に聞いたことはありません。どうしてか私を気に入ってくれたお客さまが数人いて、仕事は楽しかったです。ですが女性の職場ならではの難しさがあり、転職をすることになります。
次の職場は、システムエンジニアを企業へ派遣する中小企業。その営業事務の部署で7年勤めました。契約書を発行したり、人事の採用アシスタントのサポートなど。しばらく順調に勤めて7年目、産休に入りました。問題は復帰後です。上司が変わって、仕事でうまくいかないことが増えていきました。後から思えば発達障害ための難しさだったのですが、当時はまだ気づいていませんでした。
産休前の上司は細やかに仕事の指示をくれて働きやすかったのですが、新しい上司は説明が少なく、「察してほしいタイプ」の方。「例の話」「あの件」などあいまいな表現も多くて、私はそれが何のことなのか分からない。そもそも声が小さくて、聞き返してもやはり聞き取れなくて。コミュニケーションがうまく取れず、私と上司の思う仕事の優先度がずれたり、仕事に支障が出るようになりました。
子どもを持って働くことへの理解がない会社だったことも辛かった。子供が熱を出して保育園へ迎えに行かなければならないときには、「早く帰れていいね」と心ないことを言われました。家では子供をあやさなきゃいけないのに、このころは娘の前で泣いてばかり。「何のために働いているのだろう」と。娘もまだ小さくてよく分からないながら、心配そうに見つめてくる。そうしたことが重なって、ある日ふと、「辞めよう」と思いました。夫も理解してくれて、2012年の10月に退職に踏み切りました。
ぼろぼろの状態で、「Kaien助けて」
退職は決めたものの、働く自信もすっかりなくしてぼろぼろの状態でした。前職で7年勤められたのはただ、産休前の上司が優秀だったからなんだと。さらに、どこかに勤めるか学校に行かないと、保育園が子供を預かってくれなくなるという状況でした。自信の喪失だけでなく現実的な事情の切迫からも、「もう、Kaien助けて」という状態でした。
訓練を始めたのは2013年の1月。約1年、通うことになります。印象的だったのは日報の書き方。メインタスクとサブタスクを書き分け、構造的に伝えることの大切さを知りました。納期まで間に合えばと、漠然と立てていた作業の計画は細かく立てることを習得。さらに、「やっていることにはすべて意味がある」と教えてくれたのもKaienであり、慶太社長でした。作業の方法一つとっても、「何となく選んだ」では許してもらえない。週替わり業務(人事・経理・総務など実際に会社で運用される事務作業の訓練。1~2週間ごとに新しく切り替わる)でプレスリリースを作る課題の発表をしたとき、慶太社長から次々と指摘が出たことはよく覚えています。
Kaienでは、スタッフの西河さんとの出会えたことも大きかった。私のことを分かってくれていると感じて、とても信頼していました。子どもを抱えてKaienに転職した、お母さん転職の先輩でもありました。気持ちをリセットするために、いい香りのものを携帯しておいて嗅ぐといいわよと、アドバイスをくれたのも西河さん。私はもともと嗅覚が鋭くて、嫌いな臭いにふれると気分も下がりますが、好きな臭いを嗅げば気分が上がるんです。
予想もしなかった「業務」が好評
入所してから半年ほどたって、就活を始めました。半年で10社くらい受けたと思います。就活中のKaienは、F1のピットインのような存在。傷ついて、ぼろぼろになって戻っても、「さあ、調整だ!」と立て直して送り出してくれる(笑)。安心して飛び出して行けました。そして決まったのが現在の会社です。2013年の11月に障害者枠で入社しました。そういえば今の会社に入社したのも、香りに縁がありますね。入社試験のときの面接官の女性が、とてもいい香りがして。一気に入社の意思が高まったのを覚えています(笑)。就職後、その方とは同じ部署で働くことになりました。
いまは総務部に所属していて、人事総務、研修企画、社内イベントの3つの業務でアシスタントを担当しています。あとは会社が運営している料理教室のポスター作りです。「そういうの得意そうだからやってみない?」と言われて、恐るおそる始めた仕事でした。元々創作が好きで、社内向けのご案内や貼り紙をイラスト付きで作っていたのを、見ていただいていたようです。ポスターは幸いご好評頂けて、担当を継続して2年半。作った数はのべ138枚になりました。反応や成果が目に見える形で分かるので、とてもやりがいがあります。社内の表彰制度で特別賞もいただけました。受賞がきっかけで他部署からもポスターの依頼が来るように。イベントや禁煙促進、来客向け案内・・・・・・色々作りました。何か掲示が必要な時、まずお声掛け頂けることがとてもうれしいです。
障害者枠ですから、会社から自分へ寄せられる期待値は低いかもしれません。でも、せっかく縁があって雇ってもらえたのだから、それに見合うだけの価値を提供したい。これは昨年夏に登壇した、「ようこそ先輩」(Kaienを終了し就職した「先輩」が訓練生に直接、就活の体験談などを話すイベント)でも伝えたことです。
ポンコツの私にも、できるんだ
以前は、傷つくことを意識的に避けていて、「できる人の言うことを聞いて、邪魔にならないように生きなきゃな」と思っていました。自分のこと、ポンコツと思っていたから。両親は子供と遊園地に出かけて楽しく過ごすのが夢、というような人たち。私は一人遊びが好きだし乗り物が大の苦手で、遊園地が大嫌い(笑)。両親の思い描く、明るく元気な子どもではなかったんです。Kaienの訓練も、初めは自信がありませんでした。特にオンライン店舗の店長業務はプレッシャーが大きくて。でも、店舗がプロジェクトとして運営されているのを目の前で見ることができたんです。何もできなかったはずの私が。ポンコツで、子どもがいても、やれるじゃないって。
「やる気があればできるんだ」という根性論が好きな方、いますよね。発達障害の人もやる気はあります。でも「どうやって」の部分を知らないんです。KaienはそのHowを教えてくれました。社会を生き抜く型を教えてくれた、私にとっては武道教室です。学んだ計画立てやホウレンソウは上司に評価されていて、これは一般枠でもできていない方もいます。すると、自分が会社にいる意味も、より提供できていると感じるんです。
今は、傷つくのが怖いからと自分を低く見積もることはしたくない。「変わってる」って言われたっていいんです。だって障害者雇用だしって、ちょっと開き直りです(笑)。障害の診断を受けたのは、Kaienに入所する直前の年末でした。自分の抱えていた生きづらさについて、ようやくクリアになった瞬間でした。ただ、人生において結婚がゴールではないように、ここからが始まりなのだとも思いました。障害への対策を知るためのスタート地点に立てることが、診断の意義なのだと思います。そして、配慮してもらえる職場で働くために手帳を取りました。当時住んでいた地域の自治体のご担当者は、発達障害にとても詳しく、親身に相談に乗ってくれました。今は引っ越して新しい手帳に変わりましたが、その方が手続きしてくれた最初の小さな障害者手帳は、自分の原点として今でも大切にとってあります。
娘は今4歳、わがままいっぱいです。社交的で気が強いところは夫に似ましたね。私は気が弱いから。この前、ディズニーランドに親子で出かけました。スプラッシュマウンテンに乗ったら死にそうになりました(笑)。娘に言えます。ママ、もう泣いてないよって。
(取材:2016年3月)
■黒船さん:36歳女性。前職で発達障害に気付き、退職してKaienに入所した。約一年の後に大手エネルギー会社の関係会社に就職し、約2年が経つ。4歳になるご息女を持つ。
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