自分の真面目さを結果につなげる術をもらった~私とKaien 第15話~
『私とKaien』は当社の就労移行支援を利用していた訓練修了生や、ガクプロやTEENSをご利用中のお子様を持つご家族など、Kaienと一緒に発達障害の魅力を世の中に広げていただいている方々へのインタビューシリーズです。
第15話は、Kaien独自求人から就職を決め既に3年目。障害のある後輩社員も増える中、仕事をどんどん任されるようになったEさんにお話を伺います。
勉強も大学生活も楽しかった、でも論文はしんどかったです
小中学生時代はあんまり思い出したくないことが多いんですよ…。歴史が好きだったので、休み時間になると歴史の教科書とか資料集とか読み漁っていたんですが、それが浮いてるっていうか、奇異の目で見られて。高校まではしんどいことの方が多かったなぁ。反対に浪人時代は本当に楽でした、って言うのは多分自分だけだと思うんですけど。だって勉強だけしてりゃいいですからね。
大学、大学院と専攻はずっと日本史です。母親にはサークルにも入った方がいいと言われましたが、合うところがなかったし、自分のやりたい勉強と趣味だけ、って感じでした。趣味のゲームでもコミュニティーとかできるんですが、そういうコミュニティーにもなじめない、っていうのがありました。
研究がしたくて大学院まで行ったんです。院での生活は楽しかったですよ。ただ、後でこれ、病院から言われたんですが、見通しが立たないととたんにやりづらくなる、という特性があるようなんです。研究になると新しい見解を立てなければならなくなって、そこがダメたった、っぽいんですね。一年留年しました。知識の断片をパズルのようにつなげて組み立てて行くのは楽しかったんですが、そこからさらに新しい見解を出せ、と言われると、どうすればいいのかわからなくなって。なので論文はしんどかったですね。就職を決めてからようやく書き終えました。
区役所勤務は人間関係・常識の押し売りが辛かった…
最初は区役所に努めました。親の勧めもあって。公務員は成果を求められないからマイペースでできるから、って言われていたような気がします。
ただ…本当に区役所は酷かったです。上司が濃密なコミュニケーションを求めるタイプで。その上、電話応対をずっと上司に見張られてるんです。発達障害独特のしゃべり方を直せ、って。見張られていると、区民の声より上司の声の方がよっぽど怖い、って感じで、もう頭が働かないし、何も頭に入ってこないんですよ。
僕はお酒は飲みません、って言ってるのに「飲まなくてもビールだけ頼んどけ」ってタイプの上司もいて…。掃除も本来当番制なんですが、新人は業務を教えてもらっている立場なんだから自主的にやれ、と。反発すると「社会人として生きて行けない」だの「常識を知らない」だの言われまして。
挙句、私は睡眠が浅くなりがちで、昼休みに睡眠を取らないと後が持たないんです。で、寝てると「みんな昼休み中も仕事してるのに、なんで君は昼寝してるの?」って言ってきて。飲み会の席で上司に「前途は非常に不安です」と言われたこともあります。
とどめとなったのが、有給を上司に申請したら「これから教えてもらったことを出す段階なのに、なんで有給取るの?」と言われたことです。精神的に参っている状況で、忙しい時期でもないのに、ボロボロになっていても休めない、という風になって、もうそこからは一日中家で奇声を発したり、本当におかしくなってしまって。その2週間後には精神科から診断が出て、一旦休んで、部署替えしてもらって復帰しましたが、結局コミュニケーションの問題などで「使えない」ということになって、3月に自主退職させられる、ってカタチになったんです。
実務形式でタスクを立てながらやっていたのが生きています
それから民間の職業訓練を経てKaienに通い始めました。Kaienでは実際の仕事を想定して色々タスクを立てながらやっていたので、今の仕事に就いてからやりやすかった、っていうのがありますね。最初からプランがしっかり立てられていました。個人的にはホームページの作り方を学べたのがよかったです。あれからやってないので、忘れちゃったら勿体ないなぁ。残念だったのは、簿記の仕事を訓練でやる頃にインフルエンザみたいな症状になってしまったんです。高熱を出して1週間以上休まざるを得なくて。あそこはちゃんと勉強したかったので、悔しかった。
訓練生には「面接練習はたくさんやっとけよ」と言いたいです。私はほぼ毎日のようにやりました。秋葉原事業所では公開面接練習っていうのがあったんですが、あれは絶対やった方がいい。他の色々な人に見てもらえると、発見されることがそれぞれ違うんですよね。発見されて、指摘されることがひとつひとつ力になるんです。訓練生のほうが面接官になる、っていう練習も是非やって欲しいですね。自分が面接官をやると、色々見えてくるものがあるので。
トラウマになっていた職場の電話 今は自分から取ってます!
今の仕事はKaien求人(Kaien訓練生のみを対象にした、発達障害の特性に配慮した求人)で見つけました。障害に配慮をしていただきながら仕事をしています。契約社員で入って一年後に正社員になりました。障害があっても不安なく仕事ができるので、すごくやりやすいです。職場の雰囲気も区役所とは全然違って…ちゃんと報告連絡相談はしていますが、ガチガチで濃密なコミュニケーションではありません。それぐらいでいいよな、と思っています。
正直なことを言うと、仕事が楽しい、って感覚はずっとなかったんです。それでも、楽にできてる、っていうのは間違いなくて、負担にはならない。もともと仕事が負担というより、周囲の人間が負担だった、っていうのがありますからね。
ずっと前職の後遺症で、今の会社でも電話が全然取れなかったんですよ。正社員になっても全然取れなくって――1年半かかりました。取れるようになるまで。よく待っていただけたな、と思うんですけれども。そこら辺も配慮していただいていたんだな、と。今はもう一番最初に自分から取りに行ってますね。
最近仕事の量や種類が増えて範囲が広がっていて。2016年の4月から派遣社員の契約関係の仕事を本格的に任されるようになり、今まで一人でやっていた仕事を色々な人に引き継がせてもらっています。引き継いだときから派遣社員の数は3倍に増えていますからね。スポットとかルーティン以外の仕事も結構入ってくるので、そこはちょっとしんどいな、と思いつつも、自分で頑張って対応するしかないな、と思っています。excelの関数を使用してリストを作成したり作業を簡単にすることに頭を使うことにも、楽しみを見い出せるようになりましたし。
趣味のゲームに時間を使っているときが一番充実しています。でも、寝不足になってしまって。ゲーセンまで行ったり、家でも夜にゲームやって…それはすごくKaienの方でも戒められたんです。10時半にはPC見るのは止めて、11時には寝るように、と言われたのに、最近全然守れなくって、11時半とかに平気でなってしまって。不摂生は絶対直さないと、って思ってます。
Kaienと私のつながりは無形なものなんです
Kaienとのつながりって私にとっては無形なものなんですよね。実務形式で、この仕事を依頼されて、それを期日までに終わらせる、ってカタチでやっていたじゃないですか。Toy-en(職業訓練の一環でリアルに運営されている中古知育玩具オンラインショップ)とかのカタチで、受注から納品まで、という風に。
やっぱりKaienと自分のつながり、って聞かれるとそれなんですよね。なんて言ったらいいのか――記憶って言っていいのかな。色々やりましたね。ホームページの作成や、部屋のレイアウトの作成、給与の計算とか…。全部が実務に役立った、というより、なんというか、仕事の力、働く力をいただいた、というか。
仕事はいつもちゃんとやってきた自負はあるんですが、前よりそれを表せるようになったかも知れません。父には「自信が持てた」と言われました。それについてはKaienもですが、今の会社の存在もかなり大きいと思います。上司からも「入社したときより表情がよくなった」ってよく言われるんです。
今の状況を続けていきたいです。非常にいい状態だと思っているので。部署が変わったりしても今のような生活を続けて行きたいな、と思っています。
ただ、最近ちょっと仕事の粗さが目立つので、入社したての頃の仕事の精度を取り戻したいと思います。私の強みは正確性にあるはずなので、そこがダメになったらヤバイと感じるんです。失敗した、と感じながら仕事をするのは嫌なんですよ。周囲はみな完璧にやってるのだろうな??――って考えるタイプなので。
(取材 2018年4月)
Eさん: 日本史で修士論文まで書くも研究に行き詰まり、公務員も続けられなくなった5年前に、アスペルガーの診断が下る。以降は自らのスキルを高めつつ障害を受け入れてくれる職場を探し、現在は人事関係の契約事務の仕事に就いて安定した暮らしを送っている。
- 性別 男性
- 年齢 31歳
- 診断 アスペルガー(2013年)
- 業種 流通
- 職種 事務職(人事契約)