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仕事は能力や技能を社会に還元する手段 ~私とKaien 第3話~

2016年1月25日

『私とKaien』は当社の就労移行支援を利用していた訓練修了生や、ガクプロやTEENSをご利用中のお子様を持つご家族など、Kaienと一緒に発達障害の魅力を世の中に広げていただいている方々へのインタビューシリーズです。第3回は、大学卒業と同時に就労支援を利用し、ソフトウェア開発企業に就職、現在も順調に勤続している金子さんにお話を伺いました。

仕事は能力や技能を社会に還元する手段

アルバイト応募もできなかった学生時代

 もともと初対面の方と話すのが得意でないのに加え、自己アピールをするのにも、とにかく自分に自信がありませんでした。アルバイトを含めて仕事というものを、かなり難しいことだと考えていたのです。電話は対面以上に苦手で、知らない人に電話をするとなるとアルバイトでも応募もできない状態でした(笑)。

 発達障害の診断が出たのは中学3年生か高校1年生のころ。診断名は広汎性発達障害でした。苦手さが表面化したのは高校のときです。単位制高校に通っていたのですが、卒業に必要な体育の単位が出席不足で、なかなか単位が取れませんでした。片道一時間超の通学時間に体育着という大きい荷物が加わるのが負担で。体育の授業に出なくてもよいから見学してレポートだけでもということになったのですが、今度はレポートに自由記述欄があって何を書いていいのか分からない。完璧主義だったので体育の出席率が足りなくなると他の科目も億劫になってしまい、高校は卒業まで5年かかりました。

 高校卒業に年数がかかった分、大学は気を引き締めて通いました。ストレートで卒業しましたが、大学では発達障害の苦手さが就活で再び顕在化することになりました。就活中の面接では、「うちではこの程度のことしかできませんが」と言われて、「私は能力が低いので問題ありません」と答えてしまったことも(笑)。就職に備えて法律や会計など勉強して資格も取ったのですが、面接官役の方に「資格取った“だけ”?」と言われたこともありました。それから面接がより怖くなってしまいました。

 初めは一般枠で約10社応募しました。一般枠をまず受けたのは、障害者枠だと生活できるほどの賃金はいただけないという話を信じていたからです。しかし一般枠で内定は出ず、心療内科の主治医の先生に相談。「最低限生活できるくらいのお給料はもらえるでしょう」と後押しいただき、地域の障害者支援センターにお世話になりながら、障害者枠の応募へ舵を切りました。

 しかし20~30社受けたにも関わらず障害者枠でも決まらずでした。このまま就活を続けてもなかなか決まらないだろうと思われました。そんな時インターネットでしったKaienに2011年4月から通い始めました。今でこそ発達障害の支援機関は増えましたが、当時、専門的な知見を持っていたのはKaienくらいだったと思います。

Kaienで自信がついた理由

 初対面の人に囲まれ緊張しながら、かつ就職がいつまでもできないのではないかという不安の中でスタートしたのですが、意外にもKaienの訓練は楽しかったです。会計帳簿など経理関係や、ソフトウェアの動作テスト、データ分析と、その傾向を資料にまとめてのプレゼンなどでした。

 私の通っていたころのKaienは麻布十番のマンションの一室を借りた小さなもの。鈴木さん(Kaien代表の鈴木慶太を指す)が常駐していて、訓練が終わった後はくだけて雑談をしましたね。訓練中の鈴木さんは淡々としてビジネスライク。一番覚えているのは面接練習です。何か言われても、割と適格だし、ぐさりとはこない。「遠慮なくものを言う」鈴木さんの存在は、緊張感を保つための、悪くないプレッシャーになりました。

 訓練で得た何より大きな変化は、自信がついたことです。同期の訓練生には就業経験のある方が多かったのですが、そうした方や、講師からも「できるね」と言ってもらえました。大学在学中にも、事務補助のインターンで悪くない評価をいただいたことがありました。でも2週間だけの勤務に来てくれた「お客さま」への、挨拶がわりの評価なのだろうと。自分への評価に慎重すぎて、穿って受け止めてしまっていました。しかしKaienではある程度長い期間を通じて評価をいただけた。それと今までと違ってマイナスのこともプラスの事も言われるので、お世辞でなく評価されているということに確信が持てたんです。うれしかったし、働くことのハードルが下りてきました。

 そうして就活を再開。といっても、受けたのはKaienから紹介された1社のみです。大手企業向けのプログラム開発で知られる会社に就職して、今も働いています。2011年7月に入社して、4年半が経ちました。

ブリーフケース

長い通勤時間を有効活用するための相棒が、ポーターのブリーフケース。東洋経済ほかの雑誌のほか、検定試験が近い時期はテキストを持ち運ぶ。

働く喜びを感じる現職

 現在の会社ですが、業種というよりは職種に惹かれました。業務内容は法律関係の資料整理の補助と、顧客に提出する書類の添削です。この会社なら経理や会計の知識が多少足しになるだろうとの、鈴木さんの見立てもありました。課題の自己アピールですが、一次面接は記述形式だったと思います。緊張しましたが、口頭で答えるよりは楽でした。二次面接では、Kaienの面接練習が生きたのでしょうか。現場担当者と話したのですが、システム開発業務全般に興味があって志望したことと、在学中、人手不足で引きこまれた文化会の業務を二年務めたことなどを話したと記憶しています。

 2年目からは、社内ツールの開発部門へ異動。初めの仕事から離れてしまいましたが、やりがいはあります。社員の作業を効率化させて、顧客に販売する商品の開発やサービスの効率化を支えています。社員向けのツールなので花形ではありませんが、必要なものです。この担当チームでは、自分が一番の古株になりました。使い方などの問い合わせも多いです。リーダー、というより、番頭のような役回りでしょうか。

 仕事は私にとって、教育や人生経験を通じて培わせていただいた能力や技能を、できる限り出し惜しみせずに社会に還元していくための手段。自分の作った社内ツールが、社内の人を助けて、顧客が良いサービスを受けられることは喜びです。この指針は働き始める前も今も変わってはいないと思います。実際に働いてみると、昔は働くということのハードルを、高く見積もりすぎていたなとも思います。

いつでも頼れる存在としてのKaien

 仕事帰りに赤くライトアップされた東京タワーを見ながら芝公園沿いを歩くと、今日も頑張ったなと、心地よい疲れを感じます。休日にはたまに一人カラオケへ。カラオケボックスを見かけてふらっと入るパターンです。最近はよく、花梨エンターテイメントさんの乙女ゲームの主題歌を歌います。

 そういえば、いま、鈴木さんやスタッフの方に会うことは久しくありませんね。忙しくて、気付くと時間が経ってしまっています。でも社長ブログやスタッフブログは読んでいますよ。サービス内容や会社の規模が変わりましたし、ブログやニュースの内容も変わっていきますけれど、雰囲気は当時からさして変わりませんので、創業時から志は一貫しているのかな、と思うところです。

 仮に今後、今の仕事で悩んだり、転職を考えることがあれば再びKaienにお世話になるでしょう。何か相談するにしても、すでに一度つながりがあるので、新しい相談先に行くよりハードルも低いですし(笑)。新しい所へのアプローチは、学生のころに比べてかなり慣れたとは思いますが、やはり少し苦手で……。私にとってKaienは、頼れる就活ツールです。会社が大きくなっていくのを見るのが楽しくて、相談が必要になればいつでも行ける、と思うと安心します。

東京タワー

会社は都心に位置。たまに帰りがてら、東京タワーを見ながら芝公園内を歩く。

(取材 2016年1月)

金子翼さん:29歳・男性。2011年春の大学卒業と同時にKaienに入所。3カ月後にプログラム開発の会社に障害者枠で就職、現在に至る。

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