発達障害が資本主義にどう向き合うかKaien共同創業者 対談シリーズ 第1回
当社の想いや現場での働き甲斐をお伝えする『懸け橋』。今回からは5回シリーズでKaienの共同創業者であり、社外取締役である徐勝徹(ソ・スンチョル 通称ちゅるさん)と、社長の鈴木の対談をお送りします。
2009年にKaienが創業してから7年が経ちました(2016年12月現在)。鈴木たった一人でスタートした当社も、今ではスタッフが150人を超える会社になっています。更なる成長を見越し、社長に指示系統が集中する状態から、社員一人一人がより力を発揮しやすい強固な組織作りをしている最中です。
社外取締役として年に数回の会議・スタッフ合宿に参加する立場だった徐も、この秋から半年程度は月の半分ほどの時間を当社の組織構築のために費やしています。共同創業者2人の対談を通じて、Kaienが生まれる前から今まで、どのようなことを考えて何をしてきたのか、これから何を目指していくのかを皆さんにお伝えできればと思います。
第1回は起業前から変わらないKaienの軸や創業直後の生みの苦しみについてが話題です。
ファッションじゃない
鈴木慶太(以下K): 今日はKaienの創業前の話から、今行っている組織構築の経緯や方向性についてちゅるさんにお話を伺っていきます。早速、最初の質問。僕とちゅるさんはアメリカのMBAで同級生として出会った。数百人もいる同級生が様々なプロジェクトをしている中で、なぜちゅるさんが僕やKaienのプロジェクトに協力し始めてくれたのか?それをまず聞かせてください。
徐勝徹(以下C): なかなか難しい質問だね。初めて出会った時から、慶太さんがNHK出身でMBAに来ているけれども、将来的にはノンプロフィットというか、ソーシャルな分野に興味があると言っていたんだよね。そんな中、ちょうど僕は当時MBAでノンプロフィット系の課外プロジェクトをやっていた。そこに慶太さんが入ってきたのが最初の繋がりだね。
K: 渡米の2,3日前に子どもが発達障害だと診断されていたので混乱していたんだよね。本来ビジネスを学ぶはずのMBAの場でも、発達障害というテーマが頭を離れなくって。そんな時にちゅるさんが率いていたプロジェクトをちょうど知ったんだよね。「この人凄い、役に立つこと教えてもらえそう」と思って、チームに入れてくださいとちゅるさんに頼んだわけ。
C: そうだったよね。でも僕が始めたプロジェクトが「MBAの2年間のうちに形にするのは難しい」という話になった。僕は他のやり方で自分だけで続けようと思っていたけど、一方で集まったチームのメンバーたちをどうしようかなと話していた時に、慶太さんがスペシャリスタナ(注:発達障害者を積極的採用しつつ営利企業として商業的にも成功しているデンマークのIT企業でKaienの代表メッセージにも記載あり)をタイムリーに見つけてきたのが、協力することになったのには大きかったんじゃないかな。
K: 2008年の夏の事。「すごいの見つけた」って感じでミーティングに乗り込んでいった。
C: すごく目をキラキラさせて。「MBAの2年目は僕はこれをやる!」って。じゃあ、チーム全体がプロジェクトの内容を変更しないといけないならば、慶太さんのプロジェクトを応援するのが良いんじゃないかという流れになったわけだよね。僕じゃなくて今度は慶太さんが主導して、僕らはそれをバックアップする形で関わっていった。メンバーは最終的には10人ぐらいにはなったかな。コンペティションの決勝の会場(注:このプロジェクトは、ニューオリンズのビジネスプランコンペティションで優勝した)にも2人しか行かなかったりとメンバーごとに参加度合の濃淡はあったけど、みんなKaienのプロジェクトに惹かれるものがあったのは確かだよね。
K: それはなぜ?
C: やっぱり慶太さんが本気だったからかな。MBAには、こういうソーシャル的な事業を手慰みのようにやる人もいるじゃないですか。
K: 言っている意味は分かります。贖罪的な感じで。
C: 贖罪であり、ファッションであり・・・。
K: 一生そこに時間を費やそうとか、自分のキャリアにしようというわけではなくて、自分の5パーセントとか10パーセントの時間とかエネルギーを使って社会的に意義あることをするみたいな。そういう形で社会貢献する形も当然アリなんですけどね。僕はそうは見えなかったということか。
C: そう、それもいいんですけど。慶太さんやKaienは、そうじゃないというのにすごく惹かれたというか。これは物になる、この人なら物にするだろうなと思って。それで何かお手伝いできることはないかなという話だったな。
資本主義にどう向き合うか
K: MBA時代に考えたビジネスプランは、時代にも乗ったし、プレゼンも上手にできた。けど、結局そのビジネスプランはもう半年ぐらいでついえてしまった。(注:MBA時代のビジネスモデルは、IT企業を立ち上げて発達障害の人を直接雇用する=「自社雇用、IT業」だった。が、現在のKaienのビジネスモデルは発達障害の人材を育成して他の会社に雇ってもらう=「他社雇用、人材教育業」になっている。)ただ、当時のコンセプトが今のKaienに影も形もない、というわけではないと思うんだよね。ちゅるさんから見ると、何がKaienに残っているものだと思う?
C: 僕は言語化する過程に関わっていないけど、その要素が残っていると思うのは行動指針。
K: あぁ、なるほどね。
C: 行動指針を見ると根っこは変わっていない。個別具体の当事者にきちんと向き合おうというところで終わらないことはブレはないよね。社会全体の気づきとか認識を変えていくところにどうにかして繋げたいという必死な思いがある。それを実現するために、Kaienに特徴的なボキャブラリーでいうと、資本主義の力という言葉を使うじゃないですか。社会の仕組みを根本から覆そうという大それたことは考えているわけではない。どうしたら資本主義の波にあらがわずに発達障害の人を活用できるかと考えていく。そこがKaienの昔も今も変わらないユニークな部分かな。
K: 企業社会から取り残された人たちの価値に企業社会に気づいてもらうためには、企業社会で勝つしかないということだよね。毒にも薬にもなるのが資本主義。なのでその力をうまく使わせてもらう必要性があるという思想はKaienには常にある。貨幣経済、グローバル経済という強い流れを個人単位や国単位では否定しづらい中で、発達障害の人が人生をどう楽しめるのかっていうと、資本主義にどう向き合うかっていうのは重要だよね。
C: 当事者を助けてあげますというよりは彼らの中にある力を引き出して、それが実際に社会や企業に伝わっていくようにハードルを取り除くという発想につながるよね。マーケット(市場経済)があるんだから、マーケット側の考えていることを彼らに伝えないとだめだよねというところと、当事者だけでなく社会全体の認識を変えるというところが、僕がずっと魅力を感じているところで、最初の頃から変わっていないな。
K: 「障害・特性を強みに、ユニバーサルな管理法、資本主義に逆らわない」といった行動指針の中の3つの役割のところですね。
真っ暗なトンネルの中で
K: そもそもKaienというのは偶然の産物で、僕はMBAが終わった後にすぐ起業するなんて全然考えてなくって。
C: え、どういうこと。起業するつもりがなかったというのは意外だけど。
K: もちろん起業するつもりはありましたよ。ビジネスプランコンペティションで優勝して、創業前の段階からウェブ上で記事を書くと協力したいという人がいてくれて。なので、何かやらなきゃいけないとは思っていた。でも、MBAで多額の借金を抱えてすぐに起業をするのはリスクがあるからね。(注:MBAの学費や生活費で2000万円程度がかかる。)2、3年は他の会社で働いてお金を貯めてからと思っていた。
C: なるほど。
K: でも、卒業後1か月ぐらいだったかな。話が急に動いて、MBAの学長も支援してくれ、内定先の経営コンサルティングファームも起業が失敗したらその時働いてもいいよと言ってくれたんだよね。そこまで周囲に期待してもらったのはうれしかったし、お膳立てをされたのに起業しませんというのも言いづらくなって、いつの間にやら起業したというのが正直なところ。
でもその後、MBAで考えたビジネスプランは上手くいかなかった。創業後半年ぐらいですぐに分かった。そこから今のビジネスモデルが形になるまでだいぶ時間がかかった。MBAの借金もあったし、MBA直後で蓄えも戻っていなかったからお金がとにかく大変だった。結局、自分が生活保護以上のお給料をもらえたのは起業して3~4年目。それまではずっと真っ暗なトンネルで灯りがない中やっている感じだった。自分にお給料がほとんど払えないし、このまま行っても結局自分が食えるか食えないかぐらいにしかならない。そんなのやるために自分はこの世界に入ってきたのかな、何の価値も付け加えられていないなと。当時は、ちゅるさんに時々話を聞いてもらっていたね。
C: 話を聞いていて思うのは、僕も共同創業者という名前を付けさせてもらってはいるけど、結局起業って本気でフルタイムでそこに飛び込んだ人じゃないと分かんないんだろうな。その切羽詰まった感覚とかね。当時相談に乗っていても、「でも、この人大丈夫だろう」とぐらいにしか僕は思っていなかったから。
K: 精神的に辛かったですよ。一番ひどい時は親友の結婚式に行けなかったからね。人が幸せなところに行く価値が僕にあるだろうかと思って、起きられなかった。お金もない。エネルギーもない。今の仕事では日々精神的に追い詰められたり、お金がなくて困っていたりする人たちに会うので、支援をする上で当時の経験は役立っているけれども、まあ大変だった。本当に辛かったです。
Kaien共同創業者 対談シリーズ
- 第1回 発達障害が資本主義にどう向き合うか
- 第2回 息子に感謝すること
- 第3回 支援への情熱がある人は現場から学べる
- 第4回 ビジネスと福祉の二刀流
- 第5回 自分のことを信じて守ってくれる人
徐勝徹(ソ・スンチョル)
株式会社Kaienの共同創業者であり、社外取締役。日本生まれの在日三世。早稲田大学卒業後にアメリカの大学院(ミシガン大学公共政策大学院)へ。非営利の分野にて勤務後(韓国でユネスコ、フィジー・ミャンマーで国際赤十字に所属)、日本で戦略系コンサルタントに転身。MBA留学を挟んだ後に自身の経営コンサルタント会社(株式会社プロジェティーム)を立ち上げる。Kaien代表の鈴木とはMBA(ノースウェスタン大学ケロッグ経営大学院)の同期。