この子は将来、食べていけるのだろうか?
一人の父親の「問い」と、多くの「出会い」が紡いだ軌跡
2007年、渡米直前に突きつけられた長男の診断。それがすべての始まりでした。 Kaien は、創業者が最初から強い起業精神を持っていたわけではありません。
アメリカで、ビジネススクールの自由な文化や信じる力に触れ、国籍も背景も異なる多くの友人たちに支えられながら、「息子のために何ができるか」を必死に考え抜いた結果、生まれた会社です。 一人の親の切実な願いが、多くの仲間たちの共感と後押しによって社会を変える事業へと育っていったストーリーをお伝えします。
※ 本ストーリーは、Kaien 創業期のブログ記事や過去のインタビュー記事をもとに構成・再編集したものです。
第0章:前史 ― 「基礎練」と「自由」、そして「真摯」
先生も間違える!?
Kaien 創業者・鈴木慶太の価値観の根底には、幼少期からの「既存の権威への疑問」と「事実へのこだわり」があります。 小学生時代、同級生がゲームに熱中する中、鈴木は独学で野球のスコアブックをつけ始め、ラジオを聞きながら全試合の記録をつけることに没頭。先生だから正しいのではなく、「事実として正しいか」を重視する。時に大人たちから扱いにくい子と見なされることもありました。
川越高校での原体験 ― 「信頼」と「自律」
転機となったのは、埼玉県立川越高校への進学です。そこには、かつて感じたような理不尽な権威主義はありませんでした。 校則は服装自由など3つだけ。細かなルールで生徒を縛るのではなく、一人ひとりを信頼し、大人として扱う。先生たちも決して偉ぶらず、生徒の自主性を尊重する。 この自由と信頼の空気の中で過ごした3年間は、鈴木に強烈な印象を残しました。 「最低限のルールの中で、一人ひとりが自分で考えて動く」。 この時の体験が、現在の Kaien における「社員を細かく管理せず、信頼して任せる」という組織運営や、「自律的に動く」ことを大切にするカルチャーの原点となっています。
「基礎練」と「真摯(インテグリティ)」
そして、高校から大学にかけて没頭したオーケストラ活動で学んだのが、華やかな演奏は、「地味で退屈な基礎練習(基礎練)の上にしか成り立たない」という真理です。 さらに、大学時代に見たバイオリニスト・五嶋みどり氏のドキュメンタリーで、彼女の「飾り気なく、ありのままの自分を極限まで高めてさらけ出す姿勢」に衝撃を受けます。これが Kaien の行動指針「真摯(インテグリティ)」の原点です。
「自律的な精神」「地道な基礎の積み重ね」「真摯な姿勢」。 これら3つの原体験が、現在のKaienの企業文化を形作っています。
第1章:発端 ― 渡米3日前の衝撃(2007年)
「親として何ができるのか」
2007年8月。渡米のわずか3日前、当時3歳だった長男に自閉スペクトラム症(ASD)の診断が下ります。 荷造りの最中に突きつけられた現実に、鈴木は激しく動揺しました。しかし、父からの「将来を見据えて行動すべきだ」という言葉に背中を押され、後ろ髪を引かれる思いで渡米しました。
アメリカでの留学生活が始まってからも、日本に残した息子のことが頭から離れることはありませんでした。 「今のままでは、この子は将来就職できないかもしれない」。 社会を変えたいといった大それた考えは微塵もありません。ただ一人の親として、「自分がいなくなった後、息子はどうやって食べていくのか」「離れている今、父親として何ができるのか」。その個人的で切実な不安が、鈴木を突き動かしていました。
第2章:発見 ― コロンブスの新大陸(2008年)
検索ワードは「Autism」「Work」
米国ノースウェスタン大学ケロッグ経営大学院での日々のなか、MBA2年目を迎え、鈴木は自身の活動テーマを模索していました。 深夜の自室で「Autism(自閉症)」「Work(仕事)」と検索を続けていたある日。 偶然発見したのが、デンマークの企業「Specialisterne(スペシャリスタナ)」のケースでした。
その企業は、自閉症の特性(並外れた集中力、細部へのこだわり)を障害ではなく「強み」と捉え、IT分野で戦力化し黒字化していました。 福祉として守るのではなく、ビジネスの土俵で戦って健常者を凌駕している。 息子のための解決策を探していた鈴木にとって、それは「障害=支援される側」という常識を覆す、コロンブスの新大陸発見のような衝撃でした。実際、現場はどのように動いているのか、鈴木はその実情を確かめるべく、創業者のトーキル・ソネ氏に会いに行きました。
「魔法」の正体
デンマークの現場で行われていたのは、高度で難解な魔法のような支援ではありませんでした。本人の特性(強み)を見極め、それに適した業務(バグ検知など)をマッチングさせる。 それは、事実に基づいた極めて「当たり前」で「理にかなった」実務の積み重ねだったのです。帰り際、創業者トーキル氏は、「君もファミリーの一員だ」と鈴木を迎え入れてくれました。
第3章:決意 ― アメリカの「信じる力」が生んだ起業(2008年〜2009年)
理屈を超えた「Power of Belief」
当初、鈴木はこれをすぐに自らの起業に結びつけようとはしていませんでした。「誰かが日本でこのプランを実現してくれたらいい」、その程度の考えだったのです。しかし、MBAの授業で「日本版スペシャリスタナ」の構想を話すと、そこで待っていたのは想像を超える反応でした。なぜできないのか?とリスクを数えるのではなく、「どうすれば実現できるか?」と目を輝かせるクラスメイトや教授たち。 良いアイデアなら、世界は変わるはずだと疑わない、アメリカ特有の「信じる力(Power of Belief)」がそこにありました。
このプランに共鳴した仲間たちが集まり、自信のない鈴木を強烈に後押ししました。 一人では踏み出せなかった一歩。しかし、仲間の熱気と「信じる力」に背中を押され、授業の課題だったアイデアは「会社(Kaien)」としての命を吹き込まれたのです。
第4章:挫折 ― 自分の会社からの「出禁」(2009年〜2010年)
何もできない社長と組織崩壊
日本に戻り2009年9月、株式会社 Kaien 設立。しかし当初、日本版スペシャリスタナとして目指した「発達障害者を自社雇用し IT テストを受託するモデル」はすぐに壁にぶつかります。売上は月54万円、資金は枯渇寸前。 鈴木は自社雇用を諦め、「人材を育成し企業へ送り出す(就労移行支援・人材紹介)」モデルへと大きく舵を切りました。
しかし、生き残りをかけた焦りから組織内部は混乱。 急激な方針転換に行き違いが生まれ、社員の気持ちもバラバラになり、組織として崩壊寸前の状態に陥りました。
第5章:再起 ― 最初の10人と「こだわり」(2010年〜2011年)
チームの刷新と対話の再構築
組織崩壊を経て、チームは一新。 鈴木は社内外への発信を強化し、自分の意図を伝えるようにしていきました。トップ自らが発信を重ねることで、新しい仲間との信頼関係を一から築き上げていきました。
伊豆合宿から生まれたDNA
共同創業者・社員と伊豆の廃屋のような実家で合宿を行いました。 そこで確認し合ったのは、「マニュアルに頼らず、一人ひとりの可能性を泥臭く信じ抜くこと」。効率よりも、目の前の人の「強み」にこだわることでした。
そしてここでも、鈴木が立ち返ったのは「基礎練」の精神でした。 一発逆転の魔法はない。挨拶、報告、勤怠といった、働く上での当たり前の基礎を徹底的に固めること。地味な積み重ねこそが、彼らの「強み」を社会で活かす唯一の道である。 この信念のもとプログラムを刷新し、初期の修了生10名全員が就職を果たす快挙を成し遂げます。
第6章:拡大と停滞 における光と影(2011年〜2019年)
モデルの確立と、集客の危機
横浜市のモデル事業採択、「ティーンズ」「ガクプロ」の立ち上げなど、Kaien は事業を広げていきます。 しかし2018年頃、インターネット検索による集客の大幅減と、組織拡大の歪みが表面化。効率化を急いだ結果、現場は疲弊し暗黒期を迎えることになります。そこで Web 集客一本打法をやめ、自ら医療関係者や専門家のもとへ教えを請いに行くことを開始。創業期の「足で稼ぐ信頼」に原点回帰することで危機を乗り越えていきました。
第7章:現在と未来 ― アバド型組織への進化(2020年〜)
強力な統率者から「聴く」指揮者へ
創業から10年以上、鈴木の強烈なトップダウン型で組織を牽引してきました。しかし、組織の規模が大きくなり、多様な背景を持つ社員が増える中で、この組織の形に限界を感じ始めていきます。
そこで鈴木が理想として掲げたのが、名指揮者クラウディオ・アバドのような組織運営です。 アバドは、自分を押し付けるのではなく、「奏者の音をよく聴く」ことで知られていました。彼は、奏者一人ひとりの自発性を待ち、信頼することで、オーケストラ全体から極上のハーモニーを引き出したのです。
ニューロダイバーシティの実現へ
今の Kaien が目指すのも、まさにこの姿です。 社員一人ひとりが自律的に動き、互いの「強み」と「弱み」を補完し合う。トップが答えを決めるのではなく、現場の多様な意見(音)が重なり合って、最適解(ハーモニー)が生まれる組織。 自分の子どもをきっかけに始まった個人的な探求は、多くの仲間との出会いを経て、今や「誰もが凸凹を活かして働ける社会」を実現するための、大きなムーブメントへと広がっています。