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本物の支援を諦めない仙台の自閉症/発達障害特化型法人「ぶれいん・ゆに~くす」

2017年8月30日

 昨年(2016年)より開始した「地域パートナーシップ制度」。首都圏以外の地方にお住まいの皆様にも当社のサービスがお届けできるよう、趣旨に賛同くださった企業・福祉事業所様に当社のプログラムを導入いただく制度です。今回は仙台の一般社団法人ぶれいん・ゆに~くす代表の伊藤様をお招きし、当社取締役の須賀がお話を伺いました。伊藤様の本物を届けることへのこだわりに迫ります。

自閉症として生まれた息子。その可能性を広げてあげたいと思った

須賀) 今回は仙台の一般社団法人ぶれいん・ゆに~くす代表の伊藤さんのインタビューです。伊藤さんはもともと大学で教員をされていたと伺っています。

伊藤) はい。今の仕事をはじめて10年になります。最初の法人をつくったのは、自閉症の息子を授かったことがきっかけです。

須賀) 息子さんが自閉症とわかったのはいつごろですか?

伊藤) 4歳で保育園に通うようになったころです。赤ちゃんのころは全く眠ってくれない子で、当時は仕事で帰宅が0時を過ぎることもあり、本当に大変でした。周囲に相談しても、誰も障害があるとは気づかなくて。今から思うと自閉症の特徴をたくさん見せていたのに気づかないまま4歳になってしまって。職場で「うちの息子はこんな風で・・・」と話した時に職員が「先生、それは児童精神に詳しい小児科に行った方がいい」と言ってくれて。病院に行ったら一発で自閉症と言われたわけです。

須賀) 息子さんが自閉症とわかってどのように感じましたか?

伊藤) “なんで?”ってと思いました。私には生まれながら心臓の病気があり、子どもを持つことは諦めていたので。“原因は私?”とも。描いていた「理想の息子」像がガラガラと音とを立てて崩れるような感覚で不安でいっぱいになりました。でも、自閉症ですと言われた後も、何か伸びる可能性があるのだったら、この子の可能性は広げてあげたいなって同時に思いました。そんな時、偶然TEACCH(注)と出会ったのです。

須賀) TEACCHと出会って、息子さんや伊藤さんにどんな変化がありましたか?

伊藤) 息子は見通しをもって自分で動けるようになりました。それまでは遊ぶのもピーナッツを丸く並べるだけだったり、ブロックを縦に積むだけだったり、行動に見通しがなかったのです。TEACCHはスケジュールがあって、何をどうすればいいのか、どこまでやったら終わりか、次はどうすればいいかがわかって、ああしろこうしろとうるさく言われる必要がない。これで息子は楽になれる!と思って、私はTEACCHに感銘をうけました。そして、TEACCHを徹底的に学びました。ノースカロライナにも行きました。

もがき、苦しみ、のたうちまわれ!

須賀) 息子さんが自閉症と診断されたことが起業のきっかけで、まずは療育からスタートされているのですよね?

伊藤) はい。息子が診断された後、仙台中でドクターショッピングもしたし、自閉症に適した支援を受けられる場所も探したけれど、見つからなくて。同じように困っている親御さんの仲間もいたので、「ないなら、私たちでつくろう!」と。仙台で初めて自閉症と発達障害特化型でTEACCHを一つの軸として取り入れる方針でNPO法人をつくりました。

須賀) とはいえ、つくるというご決断はそんなに簡単にできるものでもないですよね?

伊藤) そうですね。TEACCHと親御さん仲間以外にも、大きな出会いがありました。

須賀) どんな出会いだったのでしょう?

伊藤) メンターとの出会いです。その人は「支援者はもがき、苦しみ、のたうちまわれ!」と言ってくれました。支援される側は、自分たち以上に「もがき、苦しみ、のたうちまわって」今の状況にある。だとしたら、お金をもらって仕事をしている自分たちが彼ら以上に「もがき、苦しみ、のたうちまわる」のは当たり前だということです。支援者は、本当に支援力を磨かない限り、誰も幸せにはできないということを最初の頃に叩き込まれています。

須賀) 突きつけられるような言葉ですね。

潰さない、諦めない

須賀) 療育で法人を始められて、その後を教えてください。

伊藤) はい。療育を始めたと言っても、親御さんや行政のニーズと合致していたわけでもなかったのです。もともと児童デイは仙台市が単独事業として実施したものが全国に広がった経緯があるのですが、要は「居場所づくり」だったのです。お預かり型が良しとされ、「療育は子どもに負担がかかるのでは?」と言われたりもしました。

須賀) 預けられれば目の前の困り感は減るという意味でサービスの質まで問われないという風潮は全国にもあるような気がします。

伊藤) そうなのですよね。ちょうど何年か前に行政報酬の単価がぐっと上がってからは、放課後等デイもいろんな母体が運営するようになって。子供を学校へお迎えに行って、お家まで送り届ける送迎サービスが当たり前に求められたり、みんなで体を動かす体操などを組み込んでいる事業所がとても流行ったりしているようです。

須賀) アンパンマン放デイ(アンパンマンのビデオを見せて終わりのデイサービス)なんていう言葉もありますし。質を確保しながら事業を広げることは本当にエネルギーのいることだと思います。ぶれいん・ゆに~くすさんはその後居宅介護や就労移行にも広げられていますよね。それはどういう経緯ですか?

伊藤) 成人の親御さんたちの相談がたくさん届くようになったのが理由です。私たちにとっても、自分たちの子どもは今は小さいけれど、いずれ大人になる。だったら今だと思って。それが7年前です。その後もたくさんの資金を必要としないで行政制度を活用してできる、療育的なことをと思って居宅介護や相談支援も始めています。

須賀) 一つの事業では完結しないですから、ニーズに合わせて広げていくことは必要だと思います。

伊藤) はい。でも、実際に就労移行をはじめてみると、なかなか利用者が集まらなくて。相談は多かったものの、当時の仙台は、支援学校を卒業すると生活介護施設や就労継続支援B型に行くのが当たり前でした。親御さんもそれを当然としていて、働くことや経済的な自立の道を探そうという意識や風土はなかったように思います。

須賀) 利用する側からすると先を行き過ぎていたのかもしれませんね。

伊藤) これ以上就労移行を続けると、法人全体を潰しかねないとなるということで、やめるという話が持ち上がりました。でも私はやめるという決断がどうしても出来なくて。理事会も含めた話し合いの結果、中学生以降のステージを現法人ぶれいんゆに~くすが引継ぎ、中学生から下ぐらいの幼児期・学童期を丁寧に支えることを前の法人がそれまでと同じようにずっと続けていくということで、専門性を分化するという事になりました。

須賀) 非常に大きなご決断があったのですね。

伊藤) そう。しかもそこに震災が重なりました。震災後1年半から2年ぐらいは利用者も増えないし、今の法人も本当に経営が難しくなっていって。でも「休止するか」「やめるか」というところを当時のスタッフが一緒にやってくれて、本当に心強かった。決めたのはただ一つ「潰さない、諦めない」ってことだけ。その想いでやってきました。

須賀) 「潰さない、諦めない」という想いは伊藤さんがこれまで様々な出会いを経て培われた決意ですね。

伊藤) はい。法人が潰れてしまうってことは事業所がなくなることで、私たちをよりどころにして下さっている利用者さんを野に放ってしまうことじゃないですか。私たちが梯子を外されることがあったとしても、私たちの方から決して梯子は外さない。かけた梯子は外さない。

須賀) 梯子があれば幸せになれるという実感があってのことだとも思いますが。

伊藤) はい。TEACCHの理念と、自閉症の文化を褒めたたえることで、今、息子は22歳のおおらかで素敵な自閉症の青年になれたと思っています。だから今すぐ利用者が増えなくても諦めないで自閉症・発達障害の特化型として、TEACCHを軸に療育型の施設を運営を続けています。日本一とは言わないけれども、少なくとも宮城・仙台の中では、どこよりも自閉症・発達障害を学び、実践している組織だっていう自負と誇りがあります。でもうちの放課後等デイは、まだ10人の定員が毎日いっぱいではないです。スタッフもプログラムも素敵なのにもったいないなって気持ちがあって。どうやって私たちの事業所の強みを知ってもらえるかなと考えていた時にKaienと出会いました。

本物を届ける仲間

伊藤) Kaienは私の中でずっと憧れだったと思います。知的な遅れがあって支援学校に行っている、そういう子どもたちへ向けたサービスはたくさんあると思っています。一方で特性や支援の必要性を見過ごされてしまって普通級の中で孤独を抱えながら何とか頑張っている子どもたちには私たちも何もできてないなって思っていたの。そういう子どもたちにサービスを届けているのがKaienだから。

須賀) 確かにKaien創業のころは発達障害の人はまさに制度や支援の隙間にいたと思います。知的な遅れのない発達障害の人の支援は当時福祉の中では難しいとされていて、Kaienはそこに焦点を合わせました。

伊藤) そうね。いつも気にしていたKaienがパートナーシップ制度を開始する話があったので、これは何も迷うことなく飛び込んでみる価値があると思いました。Kaienの事業所の見学で、印刷とか製本をしている人たちが一生懸命に取り組んでいる姿を見て、「こういう人たち(注) こんな大人になるだろうなという子ども)はウチにもいるよね。」って感じました。Kaienのノウハウを使う事で、今、私たちの目の前にいる子どもたちが通っている支援学校の在りかたも変わるぐらいに環境を変えてあげることができるのかもしれないな、なんて、ちょっとおこがましい気持ちを持てました。

須賀) そう感じていただけたのは、本当に嬉しいです。Kaienは発達障害の人に関わらず、働く上で必要とされるソフトスキルを身に着ける環境と機会を子どものうちから提供していますが、それは特別なことではなく当たり前でもある気がしています。当たり前をいかに楽しく習得できるか、そのためにプログラムを作っているのだと思います。

伊藤) そう、ものすごくたくさんプログラムがあるのよね。Kaienは大人にも子どもにも働く、自立するための力をつけることを本気で目指しているんだなと実感しました。私たちが大切にしているのも、自己選択する力、自己決定する力を養うことです。だから、Kaienは生きていくうえで本当に必要な力をつけるための本物のサービスを届ける仲間だと思いました。それで、Kaien(就労)、TEENS(児童)だけでなくガクプロ(大学生・専門学校生など向け)3つの事業全部を導入しました。だからといってうちの事業所の利用者さんが、最初期待したように、爆発的に増えているわけではないのですね。でも、Kaienのプログラムがあり、そして今まで私たちがTEACCHの中で積み重ねてきた考え方や、支援の一つの手立てがあり、その二つが一緒になったときに、もしかしたら、ものすごいエネルギーになるのでは、って期待しています。

須賀) ありがとうございます。パートナーシップは地方で想いをもって運営している事業所さんに当社のプログラムや考え方を受け渡していきながら一緒に広げていきたいと思って作った制度です。まさにそのとおりになっていて、とても嬉しいです。一方で地域でより多くの人たちに本物を届けるためには課題もたくさんあると改めて実感しました。この点は今後も一緒に取り組ませてください。

最後に、親として

須賀) 福祉以外のお仕事からの転身、本物のサービスを届ける想いについてお聞きしてきましたが、最後はやはり、伊藤さんの起業のきっかけである「親」という視点を聞かせていただきたいと思います。自閉症の息子さんを育て上げて、その上で今、子どもと向き合う親御さんに伝えたいことはありますか?

伊藤) 「子供たちは一人で平気だよ」というのがまず一つ。

須賀) それもご自身のご経験ですよね?

伊藤) はい。息子が18歳になった時に、関西の仲間のところにお預けしました。そうしたら15キロもやせたんです。要はいかに食べさせすぎていたのかということ。おいしそうに食べるし、嬉しそうだからという親心で、目の前に出されれば食べ続けてしまう息子に食べさせ過ぎていたの。本当は必要な量で終わらせられるのに。親がよかれと思ってしていることは余計なおせっかいでもあることに気づきました。今ではよっぽど自分が何か欲しくて買って欲しいものがあるときがある以外は、電話もかかってきません。「便りのないのは無事な証拠」と言うけれど、本当にそう。息子は本当に特性としては重いのですよ。でも、思い切って親元から手放したことが、本当に笑顔の素敵な成人、青年になることを叶えたと思っています。

須賀) 一緒にいると先回りしたり、親が決めてしまったりすることがあるかもしれないけれど、そこから離れたとき、自立につながるののでしょうね。

伊藤) そう思います。あともう一つ、「ひとりで頑張っちゃだめよ」ということ。Kaienに通わせていて知的に高いようなお子さんをお持ちの親御さんは相当ひとりで頑張っているのでは?Kaienに通っていることを内緒にしていることだってあるかもしれません。でもひとりで頑張っても結局自分も子どもも全然幸せになれないと思います。自分の弱みを見せていい人を一人か二人作ると楽になります。私はなるべく頑張ってねっとお母さんたちに言わない。頑張るってしんどいことだと思うから。

須賀) ひとりで頑張らない。ご本人にも親御さんにも支援者にも言えることですね。伊藤さんとお話しして私自身、とても勇気づけられました。今日は本当にありがとうございました。

伊藤) ありがとうございました。

 

(注)TEACCH アメリカ、ノースカロライナ州の州立機関であり、個々の自閉症者とその家族にさまざまなサービスを提供している。自閉症の人は発達が遅れていたり劣っていたりするのではなく、健常発達の人と比べた場合に発達の様相が異なっていて不均衡である、という基本視点を持つ。自閉症を治す教育や支援をするのではなく、自閉症児者が自閉症のままで自立して活動し社会との共生を目指す。

伊藤 あづさ

一般社団法人ぶれいん・ゆに~くす 代表理事 
臨床発達心理士
香りジェネラリスト

 

1981年から10年続いた「われら人間コンサート」の事務局次長をスタートに障害のある方と楽しく暮らすことの伴走が始まる。障害者職業訓練校・障害者職業センターにおいて障害者の職業訓練・職業アドバイスを行い、特にIT技術者養成を通して、訓練生の経済的自立を目指す。1995年から東北福祉大学感性福祉研究所/東北大学加齢医学研究所において香りを媒介としたケアの研究・実践に8年間従事。授かった子どもが広汎性発達障害(自閉症)であったことが縁で、保護者の立場として、2005年4月に施行された「発達障害者支援法」の成立に尽力。地域で自閉症/発達障害のご本人とご家族に未来を創るために奔走中。

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